シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

2019年1月12日(土)

昨日は友人のお家に遊びに行って、わんこと遊ばせてもらいました。
看板犬のいるカフェにも連れて行ってもらいました。
お迎え予定の犬種のブリーダーさんもやっているところで、私が予約しているブリーダーさんとはお知り合いだそうです。
「あそこなら大丈夫ですよ~」というお話も聞けました。
こちらから、「あそこはどうですか」と質問しなくてもそういう話が出たということは、すくなくとも、昨日行ったお店の人は「大丈夫」と思っているということでしょう。


友人とは毒親持ち仲間で、毒親育ちの生きづらさとか、感覚が多数派と違う不自由の話になりました。
友人も、「褒められても心に響かない」という同じ悩み(?)があるそうです。
そうなんだよね~。
受け取るレセプターがポンコツなのか、殆どないのか、壊れて修繕不可能なのか分かりませんが。
脳科学的には脳の一部の機能が落ちているらしい…。

友人はずっとフルタイムで働いていて、他人の中にいて、毒親育ちの生きづらさを何とか少しでも楽な方向に変えられないかずっと取り組んではいるけれど、「感じない」とか、「感じすぎる」部分は、今のところ変更できずにいるそうです。
う~ん、この手の話で、希望が持てる明るい話は聞かないなぁ…。

当事者本人ではない、精神科医やカウンセラーの、「この人は毒親育ちの後遺症でこういう生きづらさを抱えて苦しんでいたけれど、今は楽になって、人との交流を楽しんで 云々」という記述を見かけることがありますが、それは傍から見ると、問題なく馴染んでいるように見えるようになったというだけで―それだけでも十分生きづらさは減っているのかもしれませんが―本人の感じ方への違和感が減っているか、本当に”精神的にもいい感じになっている瞬間が増えたなぁ”と実感して日々生活しているのかというと、かなり違うんじゃないか?と疑っています。
私も、傍から見たら、十分社会適応して暮らしていますから。