「隣の芝は青い」と言いますが、私は夫が病気になってから、亡くなってからは、「うちの芝は青い」と思うようにして凌いできたんだな~と思います。
夫が病気になって、入院したり、なかなか診断がつかないせいで療養型の病院への入院も断られ・・という中で、「夫の最期の時期は子供たちも交代で入院中の夫に付き添ってくれた」とか聞くと、「いいなぁ」と思ったりもしましたが・・・
子どもがいても、まだ学生だったら、”学費はどうするんだ、今後私一人で一人前になるまでフォローできるのか?”とか、更にプレッシャーになったよな…
(子供がいないのは自分の選択だったし、まぁ、悪くない)
唯一生き残っていた夫の家族「義兄」は精神疾患があり、成年後見人さんがついています。そういう状態なので、私が夫の看病などで困っても、相談したり、どうしてもという時に手を貸してもらえる状態ではありませんでした。
(手も金も出さないのに、ごちゃごちゃ口だけ出す親戚にうんざりしたり、相手の心根は良くても、相手の満足も配慮しながら決定しなきゃいけないとなると面倒だったな。どうせ私が責任を取るしかないのだから、自分で勝手に決められて良かった)
よくある夫婦の愚痴以上の深刻な話をたまに聞くと、
(一人で寂しいけど、もう夫のことで悩んだり、腹を立てたりしなくていいのは楽だな)
職場でも同僚さん同士でお子さんの今後の教育費とか、家のローンとかの話をしているのを耳にすることがありますが、
(お金だけはそこそこあって良かった。夫婦二人分の老後資金、結果的に独り占めだからね)だったり。
でも、「お家のローンがなくていいですよね~」と言われるのは微妙。面倒な未亡人です。ローンがないのはいいですが、「未亡人になること」と引き換えで得たお金で買ったマンションだから。何だか、微妙。
親との付き合いで悩んでいる同僚さんたちの話を聞くと、
(絶縁までたどり着いて、良かったわ~。しんどかったけど、よく頑張りぬいたな、自分)もちろん、絶縁せずに済むならそれが一番ですが、もう親との「ほどよい距離感」で悩まなくていい。楽。
本当にしんどかった時期に、「知足」を心がけないと余計苦しくて、段々「まぁ、現状悪くない」「面白くなってきた」と考える癖がついてきたようです。
できれば、このまま最期まで行きたい。