シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

どこまでも毒親育ちな思い出

昨日会った友達も毒親育ち。親とは絶縁して、気持ちも吹っ切れて、今は殆ど思い出しもしないそうです。
いいなぁ。私もそういう境地にたどり着きたいです。

毒親ではあったけど、あの時だけは、親らしい愛情を実感できたな、というエピソードある?」という話になりました。
友人は、しばらく黙って考え込んでいましたが、 「ないわ。今あまりに親が嫌い過ぎて、わざと忘れてしまっているのかもしれないけど、ないわ。」

私は、中学生の時、父親と映画に行って、具合が悪くなったけど、父親は悪態をついたりせずに優しく介抱して連れ帰ってくれた話をしました。

が、「具合が悪くなった時に、悪態つかないでいてくれてありがとう、介抱してくれてありがとう、って思うこと自体がもう毒親育ちだよね~。普通の家庭(精神的にそこそこ健康な家族メンバーの家庭という意味)だったら、当たり前のことをありがたいって思うって、どこまで基準が低いんだって、哀しくなるね~」と変に盛り上がりました。

これって、例えば、「傷が残るような暴力振るわずにいてくれてありがとう」「性虐待はなかったのはありがたい」   こういう思考と同方向。

ある意味当たり前のことをしてもらったことが・・・そのことにありがとうと思うのは自然なことだけど・・・一生の思い出になっているということが、自分の育った家庭がどれだけ歪んでいたかの証拠なんだよな…。

仲間と話すと、新たな気付きがあって、ありがたいです。