シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

きょうだいそれぞれの生存戦略

今はトラウマ関係の本をゆっくり読んでいます。自分の生い立ちを改めて考えることが増えています。
同じ両親の間に生まれて育てられた私を含めた3人きょうだい。
どういう影響が出ているんだろう…と考えます。本当のところは分かりません。
子どもの時のことは細かくは覚えていないし、子どもだったから視野は今より狭く、視点が偏っていたし、他人(きょうだい)の思いが分かるはずもありません。

それでも兄は、生きづらさを抱えてずーっと苦しんできたんだろうな~というのは何となくイメージできます。具体的に何がどう、というわけではありませんが、比較的はっきり覚えている中学・高校の頃の様子、大学生になって家を出たけど、帰省してきたときの様子とかで。
高校・大学の時は、何かにすごく怒っていました。
話しているネタではない、何かに怒っていて、それを話のネタに乗せているんだな、というのは、当時の私ですら感じるほどでした。


姉はよく分かりません。
年が一つ上で、姉が大学に入って家を出るまでずっと同じ部屋で暮らしていたし、同じ高校&同じ部活だったし、大学生の時はお互い離れていても行き来したり、結婚後も一緒に旅行に行ったりもしていましたが、今思うと、姉に生きづらさがあったのかどうかすらイメージがはっきりしないのです。本人に聞いたこともないですし。
小さな時のイメージで、「姉は何でもできて、精神的にも(私よりは)成熟している」と勝手に思い込んでいたのかな…。
兄と私は親と絶縁したけど、姉は距離を取ることもなく、普通に親子づきあいしています。でも、親の味方で、「絶縁するなんて信じられない!」という態度でもありません。「ふ~ん」という感じ。
姉はどこかで超越しているんだろう、と勝手に思っていました。どうやら微妙に違うようです。

幼少期に主な養育者(大抵は親)に同調した反応を返してもらう経験が健全な愛着を持つのに非常に大事なのだそうです。まぁ、ちょっと想像すればわかることです。
たとえ細やかに世話をしていても、養育者が子供の反応を無視して押し付ける形になっていると、子供の愛着は歪んでいく。
この話を読んだとき、「姉は毒母かもな…」と思いました。
姪が赤ちゃんの時も、姪のペースに合わせるのではなく、「〇時間たったからオムツを換える」とか、すぐお腹が空いて泣くからと強引にミルクを飲ませたりとかしていました。
わんこに対しては、「自分の姉がこれか・・・」という酷い飼い方をしていましたし。わんこの気持ちを想像したら、とても私にはできないことを平気でやって、可愛がっているつもりでいるのが、母親を見るようでした。
わんこのニーズをあそこまで無視しても平気でいられる人が、わが子に対しては思いやり深くいられるんだろうか?
私にはそうは思えません。


姉はあの家での辛さを感じないでいることで生き延びたのかな、と想像するようになってきました。
感受性を鈍らせることが生存戦略だったから、自分が世話をする相手のニーズも拾えないのかも…
私には確かめようのないことですが、そんな気がしています。

兄は怒りを抑圧し、
姉は感覚を麻痺させ、
私は強者に迎合することで、あの家で生き延びたのかも。