あぁ、この人たちとは付き合っていけない、と心の奥底から感じることが出来るようになるまで、数十年かかりました。後から思えば、幼い時から、「ダメと思うエピソード」の方が、「親子っていいな」よりも圧倒的に多く、「親しい人間関係では、ネガティブな体験の5倍以上のポジティブな体験がないと関係を維持できない」という心理学か何かの知見を引き合いに出すまでもなかったのですが。
親に愛されたい思い・・・正確には、親には全く愛されていなかったという現実を受け入れたくない思いや、「家族は仲良くするのがよい」という思い込み価値観やらが邪魔していたようです。
自分の中で、「もうだめだ」とはっきり結論が出てからも、ぐるぐると考え、悩み続けました。
「もうだめだ」になった時=親が私にとって嬉しい方向に変化する可能性がないことを受け入れるしかないと腹をくくった時(でも、受け入れ切れてはいない時)、とも言えます。
表面的な付き合いだけでも継続できないかな? とか、
結果的に親を姉に押し付けることになり、姉との関係がこじれたら嫌だな、とか
彼らの思考回路はどうなっているんだろう? とか。
絶縁したら親が心労から体調を崩したら困るな、最悪当てつけ半分で自殺でもされちゃったら夢見が悪いな、は思わずにいられました。
彼らの頭の中は、私の見聞きした限り、「100%兄が悪い」でした。
(自分たちの主張は正しいけれど)言い方やタイミングが悪かったのかもしれない、という視点すらなし。
息子(兄)が悪いんだから、娘たちは当然自分たちの味方だろう、と思っているのも笑えました。
今思うと、バッサリ関係を切り捨てて、トラブルが起きるのが怖かったのもあったと思います。
逆上して刃傷沙汰になったりとか、夫の勤務先に乗り込んできたりとか…それをやるには、まずは、「娘に拒絶された」ことだけは認識しなくてはいけないので、それが出来ない彼らは、極端な行動に出ることは出来ないだろう…とは思っていましたが、それは私が想像しているだけで、彼らが斜め上を行く可能性もありましたから。
出来るだけ楽をして親との関係を切りたかったのだと思います。
直接はっきり拒絶の意思表明をするよりは、こちらの行動から察して、向こうも離れてくれた方が楽ですから。
そういう甘えは通じないことを体験から学んで、腹をくくるのに何年もかかりました。
絶縁後はあっさりしたものです。親が小心者なので助かっています。
こちらからは一切連絡をしないし、向こうも年賀状以外の接触はしてきません。
彼らは、娘との仲が修復不能になっていることを認める気がないので、その証拠になる拒絶体験(例えば、”会おう”と誘って断られる、手紙を出して受け取り拒否で戻ってくる、など)を積み重ねたくないようです。
でも、関係が完全に切れたことは認めたくないから、年賀状は送ってくる。
しかも、「私たちは元気でやっているので心配いりません」という趣旨のことを書き添えてくる。
いや、心配してないし。どうでもいいから。
”元気でいて欲しい”という方向で気にかけてくれていると思いたいんだね?でも、それは妄想だよ。
どういう妄想を抱こうがあなた方の自由ですけど、うざいです。
毒親の中には、親族・友人・子供やその配偶者の職場まで巻き込んで、大騒動を繰り広げる人たちもいるようなので、小心者の親なのは本当にありがたいです。
今のところ、そこそこ絶縁は上手く行っています。
姉にも絶縁したことは知らせていますが、姉には私の本気度は通じていないようです。
姉の義父の葬儀の時に毒親に再会しました。
絶縁は伝えてあるのに、「お父さんたちはあそこにいるよ?」と平気で声をかけてきましたから…。
私が伝えたことをどう解釈するかは姉の領分なので、干渉できません。
親の葬式に行かなかったら、「妹はどうやらマジらしい」と気づくかもしれません。
こうやってまとめてみると、我ながら頑張ったな~と思います。
ずっとしんどかったけど、今もしんどいけど、毒親に絡め取られて奴隷扱いされたまま、老後の世話までさせられ、自尊心はズタボロにされて、精神病んで人生終わっていた可能性も高かったことを思えば、少しずつでも自分にとっていい方向には這い進んできたんだな、と思えます。
好きにしていいと言ってくれる夫と、私がおかしいんじゃないと思わせてくれたわんこのおかげです。