シンプルライフへの遠い道

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禅が教える人生という山のくだり方 桝野俊明著

桝野さんの著書は好きで時々読んでいます。

この本で紹介されていた「十牛図」が印象に残りました。
 禅の修行とはいかなるものか、いかにして悟りに近づいていくかを示した10枚の絵。
 これを人生になぞらえて著者が解説しています。

1.尋牛(じんぎゅう) 「真の自分」を探す
 10代の頃の「自我の目覚め」(修行の始まり)

2.見跡(けんせき) ひと筋の光を見つける
 10代終わり~20歳頃。自分の歩む道が見えてきた気がする時期。

3.見牛(けんぎゅう) あるべき自分を見つけ出す
 自分が少しわかり始める頃。まだ全体像は見えていない。

4.得牛(とくぎゅう) 煩悩や迷い、欲望…人生は自分自身との闘い
 社会人になって、何となく今という現実が自分の人生であるかのように思える時期。 
 でも、心のどこかでは納得も出来ていない。自問自答を繰り返す時期。20代の頃。

5.牧牛(ぼくぎゅう) 修行に終わりはなし。いまだに残っている煩悩の種を
                                       心からひとつひとつなくしていく。
 30代ごろ。自分の道が見えた頃。心に目を向けることが疎かになったり、「修行が止まる」危険もある。

6.騎牛帰家(きぎゅうきか) 自我から解放され、本当の自分を自分のものにする
 40歳ごろ。悟りとは何かを見出し、そこに向かって確かな足取りで進んでいく。
 自分の居場所の確立。

7.忘牛在人(ぼうぎゅうぞんじん) 「自分は悟った」と意識しないところに真の悟りはある
                       すべては自分の心次第
 「今の自分は幸福だ」と、心からそう思える時期。(安定期?)50代ごろ?

8.人牛俱忘(にんぎゅうぐぼう) 迷いも悟りも超越した時、そこには絶対の真理がある
 迷いも悟りも超越した時。仕事で言えば「定年」の頃?

9.返本還源(へんぽんげんげん) もともとの姿に戻って、再び始まりに還る
 自然は美しくも厳しいが、それも問題としない。そこにこそ悟りはある
 定年後。下山の道のり。ふと気づけば、再び何も持っていない自分の姿に出会う。

10.入てん垂手(にってんすいしゅ) 真のあるべき姿で、悟りを人々のために役立てる
 人生の後輩に上から教えるのではなく、同じ目線になって伝える。

 

発達心理学とは別の視点で人生を辿ってみると、今の自分は忘牛在人の頃のはずなのですが…う~ん、違うなぁ。
毒親に洗脳・憑依されていた期間が長すぎて、「自分」にアクセスできるようになるまで長い回り道があったから、やっと牧牛に入ろうかというところかな…。目標や見えている道筋を問われても、「自分を知りたい」と、抽象的になってしまうし、これは一生続く課題だしなぁ。

毒親の洗脳から抜けて、己に還る」という視点だと、一つ”卒業”して、返本還源-始まりに還ったところ。再出発-でもあります。こちらの方が今の感覚に近いです。
今後の人生、「いかに良く死ぬか」以上に大きな課題はないと思っているので、気持ちの上では(年齢・体力的にも)登山中じゃなくて、下山中だしなぁ。

人生の後輩に伝えるものはあまりありませんが、
・仕事のキャリアが半端でも、心理的にそこそこ満足して生きている人もいるようだ。
・親を捨てるのも選択肢の一つなんだな。だって、あそこに実践している人がいるよ。
と、「ああいう人もいるんだな」と一つ気楽に考えるきっかけになれたらな~ というのはあります。

自分の希望と、自分の思い込み(世の常識)や周囲のプレッシャーが対立するとき、
 「無理矢理、我慢して自分の意思とは違う選択をしたとして、一番利益を得るのは誰か?」
をよくよく検証してみてほしいな…(大抵、”自分”ではありません)というのも、「後輩に伝えたいこと」かも。

本当は、私に伝えてくれる先輩が欲しいのですが、なかなか見つかりません…。