シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

自己愛的(ナル)な人たち 岡野憲一郎著

著者は精神科医

父親の病みが整理できずにいます。彼は自己愛性パーソナリティー障害が入っていると私は思っているので、参考になるかと読みました。
予想していた内容とは違っていましたが、面白かったです。自己愛って自己肯定感とも結びついているのでしょうが、私の場合はどうしても父親の病みと繋がってしまい、否定的に見てしまいます。それも自己肯定感が低い一因なのかな~とこの本を読んで感じました。

著者の定義は、
自己愛とは、「自分はイケている、カッコいい」という気持ちに浸って満足することを言う。自分の満足を優先する傾向、自己満足に浸る傾向として、単純に理解されるべきなのである。

自己愛を形作る重要な三要素
1.イケテル自己イメージがどれほど高いところに位置しているか。
2.どこまでその自己イメージに同一化して、陶酔する(したがって、その分自分を偽る)ことが出来るか。
3.自己陶酔を得るために、どれだけ他人を犠牲にするか。

イケてる自己イメージが程々で、他人を犠牲にすることもあまりなく、楽しい満足に浸って暮らせるのなら健全でしょう。平気で迷惑をまき散らす人がいるから困るんだよね~という話はよそでもよくありますが、この本では、人は状況・場によって、モンスター化したり、ハラスメント加害者になったりすることの説明があって、興味深かったです。自分も気をつけよう。
DV加害者が会社やご近所では評判の「いい人」だったりするとか、
店員さんなど相手がやり返してこないだろうと思える場合に限り横柄とか…あるよな…。


一番心に残ったのは、「自己愛は拡大する余裕がある限り拡大する」という一言。
私がわんこはOKで、人が嫌な理由のかなりの割合を占めているかも。
勿論、殆どの人は、「この人は言いやすいし、言うことを聞いてくれる」と思っても、際限なく要求を増やしたりはしません。が、私の親のように、あるいは、思い浮かぶ数々の顔ぶれのように、そういう類の輩は結構います。
私にはそうでなくても、身近な誰かにはそれをやっている知人もいるであろうことを考えると、無視できない割合なのかもしれません。
自分もそういう機会(相手)がいたらやりかねない予感があるので、なおさら人間が嫌なのかも。

動物は違うのかは、正直分かりません。
わんこの場合、こちらが圧倒的に優位の立場にある(生殺与奪の権は人間側にある)からなのか、躾として作っていた制限をわんこが学習したからなのかもしれません。
「要求が際限なく大きくなっていく」と感じたことはありませんでした。
ある程度で満足して頭打ちになる感じ。

でも、人間は親でなくても、徐々に(私から見ると)”つけあがって”いく人は結構いたな…という経験から、人間の方が始末に負えない感覚はあります。
ある程度親しくならないと、相手が「始末に負えないタイプか」が分からないので、もしそうだったら面倒だ…というのも、人付き合いを避ける理由の一つになっています。



今の職場でも、「多くの人は自分を認めてほしい、自分の意見を尊重してほしいと思っているんだな~」と感じます。それは健全な心の在り様なんだと思います。
私自身の”病み”は、それを察知した時、「相手を満足させなくては」と反射的に感じてしまうこと、ある程度、何と言えば相手が満足するのか瞬時に分かってしまうこと(多くの場合、それは”当たらねども遠からず”で失敗が少ない)。
前の職場では、相手が欲しがる言葉を口にしたせいで、自分がターゲットにされ、嫌な思いをするループにはまったので、今の職場では「沈黙」を心掛けています。
自分を持て余しているのに、他人の自己愛問題には関わりたくないです。

                           極力職場では自分を出さず空気でいようと思うのでした-