シンプルライフへの遠い道

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知り合いに格下げ後 その5 自己観察のきっかけに

段々シリーズ化しているこのネタ。

今は絶縁までは考えていないので、相手からすると唐突に連絡が途絶えた状態に私がしておいて、年賀状を出すのは微妙に居心地が悪いなぁ、と思って先日メールしました。

自分の近況を書いてまた無視されたらダメージが大きいので、相手のことだけ。

正直、転職がどうなったか知りたかったのもあります。

 

ほどなく返事が来て、転職は特殊な専門職だからか、まだ返事待ち状態だそうです。

最近わんこのことをメールに書いてないので、わんこがどうしているか気になっていたと書いてありました。

が、これは無視して、また自分のことは一切書かず、元友人の仕事や転職の励ましメールを出して一区切りにしました。

 

このやりとりで、自分を観察できて、いくつか見えてきたことがあります。

・わんこの病状は聞いても、見舞いの言葉がずっとほとんどなかったことに私はかなり怒っていたし、今も怒っている。

 

自分のことだったら、またACな自分が顔を出して、「気にかけて欲しいと思うのは我儘だ」とか、「こちらの近況を知らせても全くコメントなしでスルーされているわけではないから、相手の表現が気に入らないと怒るのは違うだろう」とか、自己批判が顔を出しますが、わんこのことだと違うようです。

元友人は愛犬家ではないから、親身なコメントは期待はしませんが、わんこに会いに来たいと言っている以上、この位は・・・と私が思う”当たり障りのない礼儀の範囲の反応”もなく、ただ、「良くなりましたか?」「まだ調子が悪いのでしょうか?」「(会うのをいったん白紙に戻すのは)別にいいですよ」・・・うまく言えませんが、こういうのが続いて、わんこに会わせる気が無くなりました。まるで、「機械の修理は終わりましたか?」なビジネスメールのよう。

 

・今となっては、元友人と自分の父親を重ねて見ている。

一緒にいても、相手が自分の気持ちだけにしか関心を向けていなかったら、たとえ言葉のやり取りは成立していても、こちらは居心地の悪さや不快感を感じます。透明人間になった気分。相手の自己愛の満足のために奉仕するための存在として扱われる不快感と怒り。

この違和感に共感できない人は幸いです。そういう人との接触があまりなかった、ということですから。

父親と重ねているので、おそらく元友人本人の言動の数割増しで悪く受け取っています。まぁ、どうしようもないです。一度こじれたら(こじれを自覚したら)修復不能なのが私ですから。

 

 

他にもまだ言語化は出来ませんが、いくつか発見しつつある自分があって、「楽しい経験ではないけど、自己観察には使えるんだな」と思う今日この頃です。

 

 

こういうスタンスでやり取りをするのは相手に失礼かな?とも思いますが、相手は自分の話を聞いて優しく共感してほしいという欲求を満たすためだけに私とやり取りしているわけだから(本音は違っていても、表に出ている行動は私にはこう見えます)、お互いさまってことで己に許しています。

 

これまで通りの友情を分けてくれる他の人たちにも同じようなことをやっているんだろうか?と自問してみると、幸い、まだその兆候は見当たらなかったです。

良かった、良かった。

 

この件は流れに任せつつ、様子を見たいです。

自分の近況ー特に大事なわんこのことは知らせませんが。