シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

知り合いに格下げ

以前、自分のことしかメールに書いてこなくなって、相手にとって私は「どうでもいい人」になってしまったんだな~とぼやいていた友人。
私の中で、友人から知り合いに格下げです。

これもACな部分なのですが、自己評価が低くて、相手からないがしろにされても、「自分が望むように扱って欲しいと思うのは我儘なんだろうか? この状態を”嫌だ”と思ってもいいんだろうか?」と考えてしまいます。

この友人は、学生時代からの長い付き合いで、楽しい時間も沢山共有してきたし、わんこを亡くした時は心配して食事に誘ってくれたり心遣いもあって、大事な友人だと思っていました。
違和感を感じるようになったのは、友人が転職してから。
一緒に旅行に行っても、何だか”ここにいない”感じ。上手く言えませんが、父親に似た感じ。
自分のことだけに関心があって、こちらの反応や気持ちは見ていない。自分が透明人間になった感じがするのです。

「もうだめだ」と思わせてくれたのは、やっぱりわんこでした。
私自身のことだったり、他の事で”教えて”と言われて調べて教えたのに反応がなかったりしても、ACな自分が顔を出し、「反応してほしい(お礼を言って欲しい)と思うのは我儘だよね。変に期待する自分が悪いんだよな。」とモヤモヤを抑圧していたと思います。


子犬が人畜共通感染症で会えないなら、写真が見たいというので、先月データを送りました。

反応なし

相手が望むからデータを送ったのに、見たかどうかの一言もないって何なの?と怒っていました。

一か月ぶりにメールが来たら、友人にとって大事な人と絶縁に至った経緯が書き連ねてあり、わんこの写真や病気ついてはノーコメント。
絶縁した相手と友人との関係を私も知っているので、”びっくりするだろうけど”という前置きはまぁいいとして、「別に落ち込んでいるわけではないから大丈夫よ。メンタル的には私は相当につよいので。」とあって、私が心配していることになっている…。

私が何度も会うのを拒否し、距離を取っている状態になっても、勝手に近況を知らせてきて、「お父さんは元気なので大丈夫です。安心してください。」と、こちらが心配している前提で書いてくるし、こちらの近況などは気に掛けるそぶりもなかった父親そっくり。

自分が聞いてほしい話を伝えてきて、「こういう反応をして欲しい」「こういうスタンスで聞いてほしい」が、「こういうスタンスでいる(今回で言えば、”心配している”)」に変換されている…
今回のメールを見て、「独り言は一人で言えば?」と感じで非常に不愉快でした。

わんこ絡みだったので、素直に、自分の中から湧いてきた「また無視かよ、侮るのもいい加減にして」という気持ちをそのまま認めて、受け入れて、「もうだめだね」にたどり着けたのだと思います。



相手の本心は分かりません。
でも、大嫌いな父親と同類と感じるとか、相手が何気なく書いた一言に、「こっちは心配なんかしてないよ、勝手に決めつけないで」という思いが最初に浮かんでくる時点で、もうだめなんだと思います。

今回のメールは無視して放置します。

思い返すと、この友人にわんこに会いたいと言われて、気が進みませんでした。
自宅に来てもらう為の準備(掃除とか)を億劫に感じたのと、私にとって何より大事なわんこに会わせたくない気がしていました。正直、わんこの体調が悪いのをいいことに、”延期”という形で断ることができてほっとしていたように思います。
他の友人の顔を思い浮かべて、わんこに会いたいと言われて、来ないでと思うかな?と自問すると、「うれしょんするから、そのつもりで来てね!」と歓迎です。


友人が私に対して無関心に変わってしまったのには、忙しすぎることと、社会的地位を得て相手の気持ちを慮る必要が減ったことも影響しているように思います。

ACな私に付け込まれてしまいました。