シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

叱咤激励されて疲れ果てた

昨日のリモート面会で夫の衰えを目の当たりにして、すぐには消化できず、マンション前のベンチにぼんやり座って休んでいました。帰宅するとわんこの相手をしなくてはいけないので。

 

たまたま、夫の話を聞いてもらっている人に会いました。

山盛り説教されました。

「あなたがそうやって落ち込んだら、旦那さんが元気になって戻って来るならいくらでもくよくよすればいいわよ?でも、そうじゃないでしょ?」

・・・現実を消化するための時間をとっていただけなんですが。

 

”今日2週間ぶりに会ったらまたかなり衰えていて、葬式のことも考え始めなきゃいけないのかな・・・という気がして・・・”というと、

「いま、葬式のことなんて考えても仕方ないでしょ。どうにでもなるんだから。病院が葬儀屋さんを紹介してくれて、座っている間に全部準備できるわよ?そんな何年も先のこと今から考えてどうするの。生命保険には入っているの?」

・・・その場で行き当たりばったりで決めるんじゃなくて、自分なりに納得ができる見送りがしたいと思っているだけ。まだ先のことと思いたいのに、今日の夫の衰えを見ると、半年後に寝たきりになっていてもおかしくないのかもと感じたから、心づもりを始めた方がいいかなと感じているだけ。逆に、葬式代の心配まではしていません。

 

「お金が沢山あるなら、何人も人を雇って家で看てあげればいいわよ?でも、それは無理なんでしょ?じゃあ、お医者さんの言うとおりにするしかないじゃないの。遠くたって、紹介されたところに行くしかないのよ。」

・・・今はもう自宅介護をしない罪悪感はほぼないです。転院先も探しているし。

前の病院では転院先探しは実質自分でやるしかなかったのだし、「お医者さん・病院に従っていれば大丈夫」じゃないんですが・・・。

夫が地の果ての病院に入って、私がお見舞いに通うのに苦労しても、あなたが通うわけじゃないから、どうとでも言えますよね。

 

延々、この調子。落ち込んだり、寂しさに浸ったりせず、前を向いてどんどん進めってことらしいです。

叱咤激励しているつもりなのでしょうが、疲れました。

この人が、愛犬を亡くした時に、「泣けばわんこが帰ってくるわけじゃないんだから、泣いてもしょうがないでしょ」と言われても、「励ましてくれてありがとう」って思ったのかな。何年も愛犬を偲んで泣いていたって言っていたけど。

 

話を切り上げようと立ち上がっても、相手は延々説教を続けて、もう、ぐったり。30分以上まくしたてられました。

この人には今後は夫の話はしないでおこう、と固く誓いました。

 

 

 

午前中に夫の介護保険申請に行った帰り、わんこ仲間数人に会いました。皆さん、「大変でも、こうやって一歩ずつ進めるしかないよね」と励ましてくれて、心強かったです。

 

以前なら、優しく寄り添って欲しいと思うのは自分の我儘だ、と思っていたでしょう。

今は、「我儘じゃない。自分のニーズを満たしてくれる関係を大事にすればいい」になっています。ちょっとは毒親の呪いも減ったかな。