HSPの概念を提唱したアーロンさんの著書。
正直、最初にこの本を読んだら、「自分はHSPかも」とは思わなかった気がします。
はっきり自己主張し、タフであることをよしとする欧米の社会では、HSPはこういう風に扱われて、生きづらさを抱えていくことになるんだなぁ、とは思いました。
HSPゆえの生き辛さ、それをとらえ直して、自分の特性の一つとして一緒に生きていくにはどうすればいいかについても書かれているので、私の場合は、ACな自分との付き合い方とか、親から受けた不当な抑圧や嘲笑への憤りや不満とも重なって、読むのがしんどい本でもありました。
HSPという視点で考えようとるするとき、「他の人がどうか分からないから判断できない」ことだらけでした。
たとえば、「夢」
私は、夢は無意識が出てくるもの、という捉え方をしているので、特に親との関係で、「やっと親に言い返した」「親を棒でたたきのめした」「初めて父親が私の反撃に反応した・・・ただ、妙な顔を下だけでしたが」・・・少しずつ気持ちの整理が進んでいるのを確認する手立てにしています。
ですが、夫は殆ど夢を見ない(覚えていない)と言うし、他の人はどういう風に扱っているのか分からないので、これが、HSP気質の一つの表れか、判断できません。
「内省」「一人でいることが必要」
これは、周囲の人より、私は多いな、と思います。
逆に、「あんなにスケジュールを詰め込んだら、一体いつ、自分自身とコミュニケーション取るんだろう・・・」と思うこともしばしば。自分と話す(向き合う)ことが必要ない人もいるらしい、と頭では分かるのですが、感覚では理解できません。
自分が何をしたいのか、自分の本心はどこにあったのかとか、時々チェックせずに、人生歩んでいて、不安定に感じたりしないのかなぁ、と思う人もいます。
でも、向こうから見たら、私は「ひとりで籠ってぐるぐる考えて、人生の浪費。」ってことになるんでしょうね。
自分がHSPかに関わらず、交わるのが苦手だけど、引きこもり続けてもいられない自分に合った”社会復帰”への手掛かりがもらえました。
・ペルソナ(仮面)という考え方
たとえば、職場では、「一従業員」というペルソナをかぶって、演じている気持でその場にいれば、
居心地の悪さは減るかもしれません。
他人と同席するとき私が感じる違和感の一つは、もしかすると、ベースになる感覚の違いの大きさ
かも知れません。
多くの他人には平気な雑音を苦痛に感じるとか、同僚たちは平気な(ように見える)「乱雑さ」に大
きなストレスを感じることもあるとか、そういう些細な「基準」が違うのを無意識で感じていて、「この
人たちと感覚を共有するのは難しそうだ=私はここでは異分子だ」と思ってしまうのかも・・・。
後付けの理屈かも知れませんが。
・境界を引き、自分の基準を伝える
なんでも「私はこんな風だから、合わせて」と言うのはわがままになってしまいますが、「こういうこ
とはどうしても苦痛に感じるので、こういう風にしてもらえないでしょうか?」と頼んでみるとか、「私
は休憩時間は一人で隅に座ってリフレッシュする必要があるときが多いのです」と伝えておくと
か、そういうのは、相手が理解してくれなくても、「自分がおかしいからダメなんだ」に流れないため
にはいい方法だと思いました。
生き辛さを抱える人が、少しでも減る社会になってほしいです。