シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

HSPは”ふたつの世界の狭間に引き裂かれている”

やらなければならない事だらけの外の世界と
自分の内面を生きることの
ふたつの世界の狭間に引き裂かれている
アーロン

ご本人もHSPで、HSPの本も書いている(私の記憶が正しければ、HSPの概念を提唱した人)アーロンさんの言葉だそうです。

金銭労働に出ることと、居心地のいいペースで過ごすことが両立しない、解消し難い違和感を見事に表現している言葉です。

今の自分の感覚を言葉にすることが出来ない…。

別に外に出ずにひきこもっていたい訳ではないです。積極的に外に出て他人と交流したい訳でもないですが。

仕事について言えば、小さな不満はあっても、報酬の範囲内と思えるレベル。
平日日中週2回、1回4時間というわがままな条件で雇ってくれるだけでも御の字です。
今のところ人間関係もいいし。
仕事を通じて仕事以外では接触しないであろう人と出会ったり、いい刺激を受けることもあるし、
無職だった時に感じていた働いていないことへの後ろめたさというか、社会から微妙に排除されている感じもなくなって、この点では居心地が良くなりました。
「高齢化や年金・福祉予算の縮小傾向の日本の現状から考えると、少しでも働いている方が、今後の人生の変化に対応しやすい」のは事実だと思うので、働くことは保険でもあります。
理屈をこねなくても、貯金の減少を気にせずある程度自由に使えるお金があるのは嬉しい。

こういう風に感じ・考えて、納得して働いているのも本当です。


が、「働くこと」に生活(人生)を侵食されている不快感もものすごく大きいです。
慣れれば不快感も減るだろうと期待していましたが、変化なし。段々、「この苦痛・違和感を我慢してまで働く意味があるんだろうか?」という疑問が大きくなっています。

無職だった時は、精神面で、殆どの時間、自分のペースで時間が流れていました。
上手く言えませんが、自分の内面生活は心地よい範囲内に収まっていて、自分の人生は一つの流れだという感覚がありました。悩んだり、不快になって腹を立てたり、自己嫌悪にはまったりはしばしばあったのですが、根底では、ゆるやかに流れている感じがありました。

ここに「働く」が加わると…人生の流れがプツプツ分断される感じがして、落ち着かないのです。
働くときだけ、いつもの流れから異世界に放り込まれる感じでしょうか。

川を下る舟に自分を例えると、無職の時は、流れが急な場所もあれば、緩やな場所もあるし、天気が荒れて水量が増え、一気に流されることもあるけれど、同じ流れ(川)にいました。

今は、日頃は川にいるのに、仕事の時だけ海に放り込まれる感じ。
日頃、川でゆるゆると流れていけるように技術を身につけ、変化への心構えをしようとしているのに、仕事の時は「海」だから、全く異質で、対応策も、場のルールも何もかもが違うので、海が穏やかで凪いでいても、居心地が悪いし、慣れていないから緊張感も半端ない。「海」に放り出される経験を重ねて、それなりに対応できるようになっても、せっかく川で心地よく流されていたのに、無理やり望まない場所に放り込まれた不快感だけは減らない。
おまけに、川に戻っても、川で過ごすペースに戻るのにかなり時間がかかって、「海」にいるのは週二日で、週5日は川にいるのに、川にいることに安らいでいられるのは実際はその半分な感じです。


こんな風に人生送りたいのかね? と自問の声が湧き上がってきます。

多数派の人は、時に大嵐が来たり、思わぬ海流に流されたりしながらも、ずっと「海」で暮らしているんだろうなぁ。自分の人生が毎日のようにぶつ切りに分断されている違和感がないから、働きながら暮らせるんだろうなぁ。



社会が多数派である非HSP仕様になっているからなんだろうな~。
私はもともと左利きなので、右利き仕様の社会に違和感を感じながらも合わせています。
それは、自動改札を通りにくいとか(右利きの人は、左側にタッチしたり、切符を入れて通らなくてはいけないことを想像してみてください)、食品パッケージの”ハサミでお切りください”のハサミマークが自分の感覚とは反対側にあるとか、片面に絵のあるマグカップを持つと、なぜが可愛い絵は見えない裏側になってしまうとか、些細なことなのですが、そういうことが日常生活にちりばめられると、微妙に、「この世界に歓迎されていない」と感じるし、疲れます。

社会システムもそうなんだろうな。
HSPが多数派だったら、平均的な労働スタイルも違う形になっていただろうから。

社会システムが多数派仕様な以上、この「狭間問題」が解決する望みは殆どありません。
ということは、私の現実生活の問題は
「老い先の経済的困窮を心配して、今の生活を犠牲にするのかい?」
                                           という問いに行きつきます。