シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

都合のいい相手しか愛せない

身も蓋もないけど、私はこうだな、と思います。

 

      都合のいい相手しか愛せない

 

先代犬は、我ながら身体を張って世話したな、大事にしたな、と思うのですが、もしあの子があんなに可愛くなかったら、あそこまで頑張らなかっただろうな、と思います。

 

こう思うようになったのは、子犬が来てから。

徐々に我が家ルールも覚えるし、大人しくなると予測できるので世話をしてきましたが、一生これが続くと言われたら、嫌いになっていただろう、と思ったからです。

数十秒目を離せば、何か破壊したり、悪さをしているし、相手をすると今度はじゃれて噛むし、何度教えても覚えないし・・・。

2時間遊んで、2時間寝ての繰り返しで、自分の時間はないし。

最近やっと落ち着いてきて、”うちの子”になってきた気がしています。

       先代犬にはまだ及びませんが、積み重ねた年月が違うから仕方ない。

 

大人しくていい子でも、自分の好みの犬種(見た目)じゃなかったら、そこそこしか可愛がれないだろうな、とも思います。

 

結局、自分好みの見た目で、許容範囲内の世話で済んで、自分好みの性格でないと大事にできない。(病気の時の世話はもちろん別枠ですが)

人も同じ。

 

 

 

これはある意味当たり前なのに、こういう自分を自分勝手だとか批判的に捉えている自分もいて、どんな相手も嫌ってはいけないという毒親育ちの呪いとも通じるな、と思います。

子供の頃の本音を探ると、少なくとも自分を嘲笑したり、気分で見捨てたり、勝手に「こう思っているんだろう」と決めつけて、決めつけた内容に基づいて私を責めたり貶めたりする親は嫌いでした。

が、親を嫌うと生きていくのが難しくなる・余計に苦しくなるので、そういう思いは感じないように封印してきました。

気に入らない他の人を、親への嫌悪も乗っけて攻撃・批判する時期もありましたが、「他人を嫌ってはいけない」に収束していったようです。

 

先日読んだHSPの本にあった「嫌いは嫌いでいい」に励まされて、ぼんやり考えてみると、嫌いな相手は、結局は「自分に都合が悪い(自分の希望と違う言動をする)相手」のことだし、好きな人は、その逆なのです。

 

おそらく、精神的に健康な人に育てられて、精神のバランスが取れている人からすると、あまりに当たり前のことを、こうやって一つ一つ理屈をつけて整理していくしかないのが、毎度もどかしいです。

これを、「気付きが得られて、毒親育ちも悪くなった」などと思える日が来るとは思えませんが・・・そう思えたら、一つ回復したと言える、という人もいて、なんだかな~なのでした。