シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

毒親が顔を出す理由考

やっと毒親問題は一時収束しました。
いつもと同じ結論に。     「嫌いだから、バイバイってことよ。いたってシンプル。」

時々、毒親のいいなりでなきゃいけない感覚が大きくなって、数日気持ちが荒れるのですが、何かに迷っている時なのかな?と思います。


発達心理学によると、幼児の頃は、自分は無力だけど、保護者(親)が見守ってくれて、いざという時は逃げ込める安全地帯がある、という安心感に下支えされて、外界に冒険に行くのだそうです。
で、危ない目に遭ったり、怖い思いをしたら、親の元に戻って慰めてもらったりしてエネルギーを蓄え、また外界に出てみる・・・を繰り返して成長していく。
大きくなると、現実には親が付き添っていなくても、「自分を見守ってくれる存在」を心の中に持つようになって、「大丈夫」と自分で自分を励まして挑戦できるようになっていくらしいです。

「神様が見守ってくださる」とか、「ご先祖様が導いてくださる」とか、そういう感覚なのかな?


ですが、ACな私の場合、何かに迷ったり、恐怖を感じたりしているときに、「何か大いなるものが私を見守っていてくれるから大丈夫。」という下支えが凄く薄い。ほとんどない?
敢えて、そう考えるように努力しないと、こういう考えが出てこない。
それどころか、「失敗したら、大いに嘲られ、傷に塩を塗りこまれ、更に惨めになる。」「死にかけても誰も助けてくれない。」そういう「見捨てられ不安」が顔を出します。
実際成長の過程で、親は私をそう扱ってきたので、それが自然と染みついているのです。これは不可抗力。


で、何か岐路に立ったり、不安になったり・・・っていうときに、「自分は大丈夫。自分で決められるし、その結果を引き受ける強さもある。」と思えず、昔のように「自分の気持ちは黙殺して、親の言いなりになるしかない」感覚に支配されてしまうようです。
これは嫌だ!と今は感じることが出来るので、毒親に対して、「何かにつけて私を貶めて、支配しやがって」と怒りがわきつつ、「言いなりにならなきゃいけないの?(今だと、老後の世話をさせられるのかな?)」と自分の”親とは絶縁”という選択に自信が持てなくなるのかな。


わんこ相手でも、日頃バカ犬呼ばわりして、邪険にしたり、いじめたりしているのに、自分が辛い時だけ添い寝してもらおうなんて思っても叶いません。
あの人たちがどうなろうと、「身から出たさび」。
そう割り切って、私はわたしのことやろう。