シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

母からの解放  信田さよ子著

副題:娘たちの声は届くか

大好きな信田さんの著書。母娘関係について、でした。
殆どの内容は、信田さんの他の著書や、他の方の本などでも見た内容ですが、私にはいい整理になりました。

読んでみて、「もう大丈夫かな~」と思えたのも収穫です。
親との絶縁にも罪悪感はなくなったし、以前のように「親ならどう思うか」も考えなくなった、と再確認しました。

私の場合は、結婚後は自分の気持ちひとつで親と縁を切ることが出来る状態でした。

精神的にはもちろん、経済的な支援も受けていないから、「恩」もないし、生活にも困らない。
子供がいないから、「わが子から祖父母を奪うのはいかがなものか」という疑問もわかないし、
同居していないし、介護もしていないので、「保護責任者遺棄」にもならない。
夫は「行方くらますために、黙って引っ越してもいいんだよ」と味方になってくれる。

それでも、何年もぐるぐる悩み続けましたが・・・今は相手がどう思おうが、どう行動に出ようが、私は絶縁した!に落ち着いています。
今後何か言ってきても、無視できるな、と感じました。


この本に引用されている田中美津さんの言葉
「わかってもらおうと思うは乞食の心」
は、本当にその通り!だと強く思います。

「母親だったらわかってほしいと期待することは、母親次第であると認め、結局母親の一言一句に喜んだり悲しんだりすることになる。それは母親の奴隷になることではないでしょうか。」
と書いてありますが、自分の体験からもそうだ、と思います。
自分の気持ちを理解して、言動を改めてほしいとか・・・せめて、私が親を嫌っていることだけは認識してほしいという思いに囚われると、自分がどう感じているかより、親がどう考えているかが上にきてしまうので、余計親から離れられないし、しんどい。
意思疎通はもちろん、現実認識してほしい気持ちも何とか諦めることが出来て、今はかなり楽です。

信田さんも、カウンセリングの現場での実感として、「親は(自分に都合が悪いことは)なかったことにする」し、親に現実(娘の苦しみ)を認識させるには、互いの生死を賭けるような・・・死に際に詰め寄るとか・・・そういう状況でないと無理だ、それほど、母親が変わることは困難だ、と言っていますが、これも「そうだよな~」と思う。
流石に、「(縁を切っても)葬式くらいは来てくれるんだろうね。」という話までした親が、一年後に冠婚葬祭でやむなく顔を合わせたら、何事もなかったかのように話しかけてきたときには、もう、絶望という言葉だけでは言い表せないがっかり感でしたけど・・・。
おかげで、「本当に何を言っても、何をしても無駄だから、今後は説明不要、絶縁実行あるのみ」と確認できて良かったです・・・でも、本当にがっくりきました。あの時は。



そういえば、最近は、「親は自分たちの老い先どうするんだろうな~」も考えなくなりました。
正確には、今は付き合いのない、嫌いな人がどうなろうがどうでもいいのと同じレベルの関心度に下がっているのを感じて、「よし!いいぞ、自分!」と思うだけ、です。

「周りから親の世話をしろとかごちゃごちゃ言われたらどうしよう」もなくなりました。
「やりません」で終わりだから。

10年以上かかって、やっとここまで来たなぁ。