シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

母を許せない娘、娘を愛せない母   袰岩秀章著

私をへこませた本(笑)。
 
著者は経験豊富なカウンセラーで、母娘とのカウンセリングのやり取りを読むと、
「さすがプロ。押し付けがましくなく、プレッシャーをかけずに、うまく誘導していくなぁ。」と思う場面がいくつもありました。
 
が、私がひどく違和感を持ったのは、
「表に出ている二人の関係がどんなにこじれていようと、母娘は互いを必要としていて、互いを愛している。一時的に離れても、また、近しい関係に戻っていけるベースはある。自分はそのお手伝いをしたい。」という著者のスタンス。
 
私自身に全く当てはまりません。
母親の育ちの過程、モラハラ夫との生活、私が体験したものとは比べられないほど強かったであろう男尊女卑社会の抑圧・・・今のように、気軽に友達と連絡も取れない時代(電話代は高く、手紙は形が残ってしまう)で、いろいろ抱え込んでしまったのも無理はない。
やり場のないものを子供にぶつけるしかなかったのかな、とある程度は想像・理解しています。
 
楽しい思い出を思い出してみたり、母親から受け継いだプラスの価値観やライフスタイルを数え上げてみたり・・・・
感謝の気持ちは湧きますが、「いずれこのわだかまりも溶けて、母親と気持ちが通じる日が来るかも」とは思えない。時間が経つにつれて、無理だ、という思いの方が募ります。
 
 
 
読後数日置いてみて分かりました。
著者は「カウンセラー」
つまり、カウンセラーが接触できる母娘とは、自分には全く非はないと思っていても、少なくとも家族に問題が起きていることは認めて、解決したいと思っている人たち。
「問題があること」を認める勇気があって、事態を良くしたいと思っている人なら、時間をかければ、「気持ちの伝え方がまずかったんだな」などと気づいて、自分を変えていくこともできるのでしょう。
 
私の親は、「問題が起きていること」すらまともに認めていません。
兄に絶縁宣言された時も、「仲直りには5年くらいかかるかも」と言っていましたが、「息子が頭を冷やすのに時間がかかりそうだ」というだけで、自分を振り返る気は全くなし。
母親は、絶縁状態が続いているのに、「いずれは兄夫婦に老後を見てもらいたい」なんて可能性がなくなりつつあることを平気で言うし。
兄を見限ったから、自分たちはこうする!というのもありません。
私には、問題から目を逸らしているだけに見えます。(私への言動は言わずもがな)
 
 
カウンセリングに行ける人は、「娘がおかしくなったから、何とかしてほしい」と訴えていても、心のどこかでは、「あなたの育て方・対応にも問題があると言われるかもしれない」覚悟はしているんじゃないかな。
・・・その指摘を受け入れる準備が出来ているかは別にして。
 
家族の恥は外に見せたくない、と変な意識は少なく、
「手におえないからプロの助けを借りよう」と柔軟に対応できる人。
 
問題の当事者だという意識がないと、カウンセリングには行かないでしょう。(たとえ子供の通う学校に勧められたからとか、これ以上問題が大きくなったら自分が困る!と言うのが動機にせよ)
 
この本にも、実母との仲がこじれたままの例もありました。でも、余りに少ない。
 
著者が接してきた母娘は、そういう「改善の余地のある素質・人格を持った人たちだった」ってことで、私自身をなだめました。
 
でないと、自分の親の絶望的なまでのどうしようもなさの説明がつかない・・・。
 
DV加害者が、余程のことがないと(離婚を盾にされるとか、カウンセリングに通うなら、離婚は保留すると言われる場合など)カウンセリングに行かないと同じで、毒親は基本カウンセリングなんか行かないよな・・・。
そういう「話し合いの余地のなさ」が毒親の特徴の一つだから(自分の非を指摘されるかもしれない場になんて、絶対行かない。心の奥底で自分が不完全だと分かっているから)。
 
 
内容は、いいところが沢山あるのですが、「仲直りできないのは自分も悪いの?」と落ち込む娘立場の人が出てしまうんじゃなかろうか。
変な希望を抱いて、親と接触して、更に傷ついて・・・ってなってしまうかも。
そういう意味で、私にはもろ刃の剣な本でした。