シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

余波の中

親と絶縁して、晴れ晴れとした幸福感と、親への不快感爆発と、交互に来ています。


父親とは完全に切れたので、どうでもいいのですが、母親はどうするか・・・と考えたり。
母親から、せめて年賀状は頂戴と言われたけど、出さないことにしました。
ああいう人たちは、何でも好きに解釈するので、はがき一枚でも出せば、
「口ではああ言ったが、親と本当に絶縁する気なんでないんだ。だからこうやって便りがあるんだ。」と勝手に思うに違いない。
連絡しないのは母親のためでもあります。
老い先のことは自分で考えて、何とかするしかないと腹をくくれ、です。
    そうするかは彼女の自由ですが、彼女が期待するほどの援助を子供から得られなかったら、
    ”その時”に困るのは本人。
    くくった腹が無駄になったら(子供たちが手厚くサポートしてくれたら)嬉しい誤算で済むけど、
    逆はしんどいでしょう。

先週、実家に残していた荷物を送ってくれたことに対しては、母親あてにお礼状を出しました。
あれが最後かな。


それにしても、父親があんなに酷い自己愛人間だとは思っていませんでした。
私もまだまだ甘かった。

私が子供のときも、子供たちが何か達成しても無関心だったのに、自分が昇進したときに、辞令と一緒に記念撮影していたのは、すごく気持ち悪かった。
ゴルフでは、自分の成績しか気にしないので、一緒に回った人が不調でも、自分が点がいいと大喜び・・・こんな気遣いのない人と一緒に回っても、そりゃ楽しくないでしょう。
私が知る範囲では、「ゴルフ友達」は出来なかったみたいです。
思い返すと、「やっぱりね」なんですけど。

私の気持ちをあまりに完全無視するので、すごく腹が立って、自分の現状思い知って少しは凹め!と思ってしまいます。
父方の祖父も酷い自己愛人間でしたが、三人の子供のうち、絶縁したのは一人。
三男には財産全部使いこまれたけど、それは知らないまま、「息子がいつも見舞いに来てくれる」状況で亡くなりました。

父親は、子供三人のうち、二人と絶縁。
分かっているのかな?客観的に見て、「親にも問題があるに違いない」状態ですよ?
離れていった子供の数では祖父に勝ってる。

上野千鶴子さんの著書に、「ケアを提供する側は場から降りられるけど、ケアを受ける方は降りられない」とありました。
子供も、病人も、要介護者も・・・弱者は助けがないと死んでしまうけど、ケアする方は、見捨てることが出来ます。

父親は、これまで自分がケアする側だったから、「嫌なら絶縁だ(ケアしないぞ)」と脅してきたけど、もう、子供から世話してもらうことを期待している時点で、「ケアされる側」になっているのですよ?
立場をわきまえろ!と本人に叫びたい。

それもこれも本人の自由だと分かっていても、腹が立っているときは、思ってしまいます。


しばらくこの状態が続きそうですが、段々に落ち着くと思います。
何と言っても、絶縁したのですから!