シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

認めてほしい気持ち

心理学の本で、「表に出ている言動の裏には、本人も無自覚の深層心理が隠れていることも多い」とは学んだし、自分に当てはめるとそうだな、と思うことも多いです。
 
今回は、他人で実感しました。
 
職場のSさん、何かにつけて、私に、「でも、親が倒れたら、面倒見なきゃいけないでしょ?」と言います。
今回、同僚のお母さんが倒れた話から、また彼女がこの話題を持ってきました。
彼女の主張は、
 「いくら親が嫌いだと日頃接触を断っていても、いざ介護や援助が必要になったら、無視はできないでしょ。  嫌でも世話しなきゃいけないでしょ?」
 
どう返事をしても、「この人は私とは考えが違う親不孝者だ。」と諦めてくれません。
かと言って、「親の世話をするのは子供の義務だ。」とか、「そんな親不孝は許されない。」と正論を突き付けてもきません。
 
これまで本人から聞いた話を総合すると、彼女は、高圧的で心の通わなかった実父の老後の世話をいやいややったようなのです。病院で騒いで困っているとスタッフから連絡があって、夜中に入院中の父親のところに行ったことも一度や二度ではなかったとか。
 
いやいや父親の世話をした自分の苦労や心労を誰かに分かって欲しい、受け止めてもらいたいと思っているのかな~と思い、
「Sさんは、お父さんのお世話をされて、大変だったそうですけど、偉いですよね~。」と言ってみると・・・
 
これまでの「でも、あなたも親の世話をするしかなくなるでしょ!」がゆるんで、自然に話題が変わりました。
 
 
そうか、Sさん自身、はっきり言えば、嫌いだった父親の世話をするのも嫌だったのに、子供の義務としてやるしかなかった(40代の私世代でもそう思っている人が多いから、60代半ばのSさん世代が”選択の余地のない義務”と思い込んでいても無理のないことです)。
その苦労が十分ねぎらわれていないとどこかで不満がくすぶっていて、「嫌だからやらない」を貫こうとしている私が気に入らなかったんですね。
正確には、どこかで、そういう選択肢もあったのに、自分は世話を引き受けたから”自己責任”もあると感じて、やり場のないストレスが残っていたのかも。
親の世話をしたことは褒められても、「嫌いな相手の世話をしたこと」は褒めてもらえませんから・・・
(世話を拒否したくなるほど親を嫌うことすらタブーな世の中のような気がします)
 
 
自分が何かの考えんこだわっている時、別の理由が潜んでいないか考えるのは意味がありそうです。