シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

振り返り・・・も疲れる

自分のペースで、あれこれ気持ちの整理を続けています。
かなり疲れます。
リカバリー」の本にも、ACの気持ちの整理は疲れるので、無理しないこと。
もう、他者の決めたペースで行動するのは卒業していいのだから、どういうペース・内容で取り組むかも自分で決めていい、とありました。

そうします。(そう言い聞かせないと、「頑張って先に進まなくちゃ!」とスピードアップを要求する変な声が聞こえてきます)



自分の子供時代のこと・・・今まで気付かないように、見ないようにしていたけれど、
   理不尽な扱いに対する憤りや、哀しさ
   納得のいかない、もやもやした感じ
   何をやっても(特に父の)愛情を得られないストレス
    (彼には人を愛する能力が欠如しているので、何をしても無駄なので
    すが・・・それをうすうす知りつつも、頑張っていた自分が哀しい)
   母の過干渉
   白か黒かの決め付けへの怒り
  
いろいろな感情が、澱になって、沈み、硬い塊になって私の中にあることを自覚させられる日々です。
その塊が、最初思っていたより、大きい。
最初は野球ボールサイズのイメージだったけど、今ではバスケボールサイズ。
実際はどうなんだろう?
もっと大きいんじゃなかろうか?


心の平安の為の自己防衛で、人は「否認」するそうです。
その否認を止めて、現実を見ると、例え数十年前のことでも辛い。重い。
出来事を、上手く心で処理して「思い出」に出来ないと感じたからこそ、無意識に封印して、”なかったこと”にしてきたことたち。

毒親と物理的な距離が出来て、経済的にも心理的にも彼らの援助や庇護は不要になった今、何とか思い出し作業が出来る状態ではありますが・・・


たとえ、粗末な掘っ立て小屋でも、「親の愛情」の土台の上に建った家で育てられたと思っていたのに、
実際は、腐臭漂う、柱も立てられない怪しいくらい沼に建った張りぼての家で育てられたことに気付き、認めること。

親の愛情を信じて、実感しながらのびのびと過ごす子供時代・・・は永遠に手に入りません(ToT)

   理性では、どうしようもない事実と諦めと共に認めても、
  言葉に出来ない色々な思いが湧いてくるのは仕方ないです。


それと同時に、こなき爺婆を赦したり、受け入れるなんてありえないし、
そうする必要は全くない!と確信を新たにします。

  彼らは未だに自分たちの過去の支配力を振るおうとするだけで、
   「互いを尊重する大人な関係」を作る気は全くなし。

 唯一の救いは、現時点では、選択権は私が握っている事実。
 彼らは、老後の世話をしてもらう下心があるので、今後の立場は弱くなる一方。自分たちがこちらを助けて恩を売る機会は減るのと比例して、自分たちは弱くなって援助が必要になるんですから。

 兄夫婦とは復縁の兆しもないし、フルタイムで働いている姉は、本人が親のために動く気があっても限界があります。
 自分たちの老後の為には、娘二人を確保しておきたいところでしょう。

 でも、私はいつでも絶縁できます。
 何の援助も受けていないので、不利益は全くなし。
  (姉との仲がこじれる心配だけです。これが結構大きいのですが)
 今、電話して宣言してもいい。
 
 選択権は自分にある。 かなり救いです。