シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

未解決の毒親問題

親との関係は、「絶縁」で決着しました。
向こうは絶縁をなかったことにしていることも分かって、増々私の決意は固くなりました。
向こうは「自分に都合の悪いことは無視して、自分の要求だけを突き付けてくる上に、私を嘲ったり貶めたりして己の弱さから目をそらすやり方を変える気もない」ことが更にはっきりしましたから。
今は罪悪感は全くありません。現実に親に何かあった時、面倒なことが耳に入るかもな~とは思いますが、自分は動かないと決めているので、大丈夫。


ですが、自分の中の毒親問題・ACな自分、は未解決がいっぱいです。
親と関係が良くなることは諦めがつきましたが、自分が子供の時に、必要な愛情をもらえなかったこと、嘲られたこと、見捨てられたこと、親は自分を立派な親だと思い込んでいることなど・・・今でも怒っているし、悲しいし、憤っています。
今から親の愛を取り返したい訳ではありません。
それも、何とか諦めました。時は戻りません。
万一親が改心して謝罪してきても、私が失ったものは戻りません。
他の人と親代わりになるようないい関係を築けたとしても、この年齢では、スムーズに「自分は存在していていいのだ」と無意識(己の根本)に根差した確信が持てるようになるわけでもなし・・・(一生無理なんじゃないかと危惧しています。)


わんこロスでも、わんこが死んだことを知ったら、親は大喜びで嘲るんだろうな~と思います。
これは「ああいう人たちだからね。」で片づけて、考えないようにすることが徐々にできるようになってきました。

でも、「今私が死んだから、親は本音ではほっとする(喜ぶ)んだろうな~」と思うと、腹が立つ。
これは妄想ではなくて、数十年来の付き合いのある私の「予想」です。当たらねども遠からず。
子供が死んだら哀しいでしょうが、今後、「自分は子供に見捨てられた」という現実を突き付けられる危険はなくなったわけで、そういう意味で、ほっとするだろう、本音では自分の利益にならない子供はいなくてもいい人たちだから、「昔のお気に入りのおもちゃが壊れてなくなった」くらいの感覚で、数か月で元気になるんだろうな~と思う。
それなのに、表面的には、”子供に先立たれた不幸な私”で、周囲の同情と慰めを得るわけです。
親が自分の本音を自覚しないことに腹が立つ。
私に嫌われていることくらいは認識しろよ! というのと同じです。

このまま一度も接触しないまま死に別れても、彼らは私に嫌われたことは認識しないでしょう。
そこまで現実を否認できる彼らの高度な能力に腹が立つのです。
まだ親に絡め取られている部分です。何とかならないかな~。もっと距離を取って、手放すのがいいのでしょうが、まだかなり時間がかかりそうです。
でも、これは、諦めずに努力を続ければ、気にならないレベルにはなりそうなことなので、まだ希望があります。

自分は存在していていいのだ、という感覚をもてる気がしない・・・。
どういう道の先に、この感覚があるのか分かりません。