シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

カウンセリングのダメージが尾を引いている

先週のカウンセリングのダメージが尾を引いています。

1年ぶりくらいにカウンセリングを再開して、最初の数回は良かったです。

仕事や私生活で頑張りすぎですよ~と指摘されて、具体的にどうすればいいかを一緒に考えてくれて、実際やってみたら、少し楽になりました。今も「頑張りすぎないを頑張る」は続けています。

どうしてもアダルトチルドレンな自分が出てくる場面も多々ありましたが、「カウンセラーさんもああ言っていたし」と思って乗り切れた時もありました。

 

実生活の困りごと相談はいいけど、心のちょっと深いところの話は、当面したくない。

ブログを読んでいる死別経験者さんたちの中には、家族写真山盛りの年賀状に一人勝手に傷ついたとか、年末に同窓会に行ったら死別の話を聞かれたり、「そんな風に看病できない~」と言われたりで、まだダメージが残っているとか、書いている方々もいます。

「世の中そんなものだとは思うけど、でも、私は傷ついた」

そんな書き方で、「私もですよ~」と言いたくなりました。

 

嫌な思いをせずに話を聞いてもらえるはずと思って、時間を作ってカウンセリングを受けて、「世の中そんなものですよ」と言われてさらに傷つくなら(二次被害)、行く意味ないどころか、害がある。  今はそう思っています。

「相手はそこまで考えていないんだから、気にしなきゃいい」

犯罪とまでは言えないボーダーラインのハラスメントとか、言われがちな言葉。

それができずに気になってしまうし、自分で勝手に傷ついているな~と自覚もしていて困って相談に行くのにな。

 

日常生活の困りごとなら、「そこにフォーカスしすぎずに、ちょっと俯瞰して見てみれば?」というアドバイスも有効だけど、自分が深く傷ついて、その傷がまだ疼いているときには、私には、余計辛いだけで、励ましにもなりませんでした。

まずは、「そうか~、哀しくなったんですね~」と受け止めてもらえてからがスタートだから。

 

 

今日はわんこの誕生日。

夫がいたころは、ケーキを用意したり、新しいおもちゃや、おいしいおやつを買ってお祝いしたけど、自分一人だとそんな気にもなれなくて、市販の”ちょっといいごはん”をあげただけになってしまいました。

お散歩はいつもよりわんこが行きたいところに付き合うようにして、ゆっくり行きましたが。

 

わんこ仲間がお祝いメールをくれて、すごく嬉しかったです。

散歩で会えたわんこ仲間にも、自分から「今日、誕生日」と言って、祝ってもらいました。

・・・とても嬉しくて、孤独感も和らいだし、本当にありがかったけど、でも、家に帰ると一人で、お祝いする元気が出ない。そんな自分を許しつつも、寂しくて…

私は、カウンセリングではこういう話をして、受け止めてもらいたいし、そう思うのも自然なことだと肯定してもらいたい(少なくとも、あなたはそう思ったんですね、とそのまま認知してもらいたい)と思っているようです。

周りの人や友人に、何かあるたびにこういう話をするのも気が引けるから。

でも、誰かに受け止めてもらいたいから。

 

微妙に尾を引いて、元気が出ない今日この頃。