シンプルライフへの遠い道

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その「弱さ」は”仕方ない”のか?

ネット上で見つけたある獣医さんの言葉。

もし、自分の息子さんや娘さんが病気になって、治療がかわいそうだから治療しないで見殺しにする親はいないでしょう?
ペットは、元気な時は、家族の一員だけど、病気になると突然、しかたなく飼った犬に変貌します。これまでに何度も体験した、辛い事です。
色々考えてしまいました。

自分のわんこに対して、こういう気持ちに一度もならなかった自分にほっとしました。
ならずに済む経済的余裕があったこと、事前にわんこ医療費を貯めておくゆとりと知恵があったことは幸いでした。


「突然、仕方なく飼った犬に変貌します」に親の兄への態度を思い出しました。
兄が中学か高校くらいの時、夫婦でよく言い合っていました。
自分に都合よく、望む状態(成績が良かったとか)だと、「私の息子」と言い、都合が悪いと、「あなたの息子」とお互いに都合のいい息子を取り合い、気に入らない息子を押し付け合っていました。
夫婦の間の軽口だったのでしょうが、自分のことをそう言われる兄はどう感じていたんだろう・・・。
数回ではなく、一時期ずっと、でした。
今思うと、胸が詰まります。
あの人たちが、自分に都合のいい状態だと受け入れ、そうでないとあっさり見捨てて罪悪感もまったく感じない性格だという証拠エピソードでもあります。
まぁ、「手のかかる(いずれ介護などが必要になる)役に立たないお前たちは私の親じゃない」とばかりに、息子(兄)に捨てられて、己の行いが返ってきて良かったね、です。
兄が親を捨てたのは違う理由ですが。

逆に、兄に絶縁されて私にすり寄ってきた親の魂胆が寒いです。



ペットに対してこういう選択・反応をする人は、色々な面が弱いのだと思います。

・どのくらいお金と手間がかかるか、自分にそれを払う能力と覚悟があるか、長期的に先を予測して飼い始める思考能力と慎重さが足りない。

・それぞれの事情でペットにかけられる手間暇お金は違うので、自分に出来る範囲でベストは何かを探して選ぶだけの粘り強さと、その時”自分には最善は選べない”しんどい現実があったとき、無力な自分を受け入れる覚悟と強さが足りない。

・死が近いというだけで、ビビって思考停止に陥り、何もできなくなる人もいます。
 で、全てを「仕方がなかった(自分は最善を尽くした)」「天寿を全うした」でごまかす人もいます。


でも、この弱さは「仕方ない」んだろうか?

確かに、運動が好きで運動能力も高くてフルマラソンを走れる人に、「なんで100m走れないの?」と言われたら、返す言葉もないです。
でも、「私は己の力を顧みず、フルマラソンにエントリーはしないから!ちゃんとわきまえていますから!」とは言いたいです。

「弱さ」は仕方ないです。
でも、そのせいで他の命に苦しみを与えた上に、自分の加害者性にも無頓着でいるのは、もう「罪」な気がします。