シンプルライフへの遠い道

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兄との”年賀状だけの付き合い”の意味

ここ数年、兄からは年賀状も来なくなり、絶縁状態です。
7年ほど前、兄が両親と絶縁したときは、「距離を取ることにした」と添え書きのある年賀状が来て、その後数年は”年賀状だけの付き合い”でした。
なぜ、その年賀状も来なくなったのかは分かりません。
(私は少なくとも今年までは出しました)

今年は、「私も親とは距離を取ることにした」と書き添えたので、何か反応があるだろうか・・・?とかすかな期待もあったので、正直少しがっかりしています。

ですが、考えてみると・・・
兄(兄家族)が、私に何か怒っていて、付き合いたくないのなら、「その理由を一度は言うのが筋だろう」という話でもない(私が無神経で気づいていないだけだったら)。
それなら、仕方ない。
身から出たさび。

兄(兄家族)が、両親に怒って絶縁するついでに(?)、彼らの関係者だからと私との付き合いを断っているだけなら、正直、私にも言いたい文句はある。
「自分が悪いと思いたくない」バイアスを差し引いても、この可能性の方が高いです。
年賀状が来なくなった時期が、父親曰く「長男にはさっさと死んでしまえと言われた」時期と重なる気がするので。兄の怒りが頂点に達して、本気で切ったのかな?と推測しています。

もともと、口約束とはいえ、親の老後の世話を引き受けていたのだから、親と絶縁して自分の約束を果たさないなら、親の老後がかかってくる可能性のある姉と私には一言説明するのが筋でしょう。
こちらにも都合や心積もりがあるのだから。  


そう反感を持ちながら、でも、私が何か兄家族を傷つけていたなら、一度は謝りたい気持ちもあったりして、どっちつかずです。

そんな今の自分の気持ちも掘り下げてみると・・・
「年賀状すら来ない=完全に相手から切られた」のは正直辛いから、年賀状だけの付き合いだけでも続けばいいのにな…という願望がありました。
だからと言って、兄に連絡して話し合うほどのエネルギー(そこまでしてでも、兄と心を通わせて仲良くしたい)という気持ちは、正直、ないのも・・・後ろめたい。

それに、はがき一枚の付き合いだけでも…と思うのは、親が死んだときの相続やら始末やらで、兄と連絡が取れないと面倒くさいから、というのも理由の大きな割合を占めていて、兄夫婦の気持ちや今後の方針を知りたい気持ちと、せいぜい半々です。

兄夫婦にぶつかっていくエネルギーもないし、付き合いが続けばいいな、の理由が、「自分が面倒に巻き込まれたくないから、付き合いが続いていれば少しは安心だから」な身勝手な私。

来年の年賀状を出すかは保留にして、敢えて何もしないでおこう、という結論になりました。



私と同じ理由で、母親は私に年賀状くらいは頂戴と言ったのでしょうね。
日ごろから音信不通、年賀状すら来ないとなれば、自分から調査しないと私が引っ越しても、住所も分からないことになりますし、「それでもいい」と思われていると感じるのは不快・不安でしょう。
出さなくて良かった!
年賀状一枚=老い先の安心 にされるところでした。

父親には、その感性すらないので、彼はいつでもHappyです。ある意味うらやましい。