シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

気づくと「ACな自分」がここにいる

義父の体調悪化で連絡待ちになってから、何やら落ち着かずわさわさしていましたが、やっと落ち着いてきました。騒いでもどうにもなりません。どうなるかは神さまにしか分かりません。

落ち着けるように、荷造りや予定の整理をして、残った気がかりがパート先の事でした。

気がかりの正体は、
・職場の人にも義父の病状を説明できるだけの情報を持っていなくてはならない。
 でないと、”連絡待ち状態であること”を納得してもらえない。
 実際には、最新情報は入らない。

・この状況を長引かせてはならない。休むかどうかがはっきりしないと迷惑をかける。

こうやって文字にすると、自分でも「何無駄なこと考えているの?」です。

職場の人が気がかりなのは、入院中の社員さんがいつどういう形で復帰するか(出来るか)と、今月で辞める社員さんの代わりがどうなるか。
急な葬儀で1日休むかもしれない短時間勤務のパートのことは、「いつそうなるかも分からないから、情報として持っておこう」程度のことです。私が逆の立場でもそうだし。
ごちゃごちゃ容態を聞かされるより、ちゃんと連絡くれればそれでいい、ですよ。
もし、シフト編成上、いつ休むか分からない人に出勤する前提でいられても困るなら、「けりが付くまで休んでいいよ(休んで)」と言われるだろうけど、言われてないです。そこのマネージメントや判断は店長の仕事で私が考えることじゃないし。



どうしてこんな不毛な考えにとらわれるのかな~と考えると、やっぱり歪んだ親子関係に行きつきます。
こういう「私にはどうしようもないこと」でも、何とかしろよ!と圧力かけられていました。
「どんな無理なことでもやって、親を満足させなくてはならない」呪いです。
出来ないと嘲られました。

母親が安心・満足・納得できるだけの情報を持って来いとか、
不確定事項があってモヤモヤする母親の精神が安定するようフォローしろとか。

極論すると、私(親)にはどうしようもないことの責任は全てお前が取れ、な感じ。
今回のようなケースだと、先のことはだれにも分からないのに、「私が安心できるように、それなりの根拠のある”予想日”を提示するのはお前の責任だ。できないのは、お前の怠慢と無能のせいだ。」と嘲りながら責めるのです。
まぁ「現地に行って、担当医に聞いてこい」位のプレッシャーは平気でかけてくるだろうなぁ。
「嫁なんだから、義父のお見舞いに駆けつけるのは当然だ」といった言い方で。
義理の関係の私が一人で病院に行っても相手にされないだろうし、義兄と一緒に行っても、「先日お話しした通りです」になるであろうこと、遠方なので気軽に行ける場所ではないことなどは、自分の落ち着かなさをそのままにすることに比べれば、母親にとっては考慮の必要もない些末なことなのです。

出来る出来ないとか、それは私の責任の範囲かなどには関係なく、親を満足させるためにできないことでもやれ、なプレッシャーが多かったよなぁ。
変に背負い込む思考回路が出来上がっていて、気を付けていないと自動発動してしまいます。

こうやって、「ん?おかしいぞ」と気づいて、立ち止まって検証出来るようにはなってきましたが、「またACな自分発動ですか…」となる度に、親への嫌悪が増すのでした。