夫は回復して、元気に外出。
奮起して買い物に行ったら、久しぶりになじみのわんこに会えました。わんこの方も私を覚えていてくれたらしく、触らせてくれました。やっぱりわんこはいいなぁ。みんな元気で幸せに暮らして欲しいと心から思います。
あぁ、今日はいい日
わんこの癒しパワーで気力だけは取り戻し、予定通りCDの整理をしました。
25枚手放すことに。
残っているのは、10枚くらいになりました。これまで2箱に入れていたのが、1箱の半分くらいになりました。
残っているCDもここ1年聞いていませんが、思い出深い曲は手元に置いておきたい執着がまだあるので、今回は処分せず。
ふるさと納税も申し込みました。
今度迎えるわんこ用のクッション、夫用おつまみ、お米、バターなど。
動物愛護には返礼品なしで寄付しました。次のわんこといいご縁をもらえるといいな~(下心付きの寄付です)。
夫の年収がはっきりしたら、残り枠分を申し込みます。
久しぶりに瞑想もしました。
瞑想では、全て(想念・感覚)をあるがままにそこに置いておく、が基本だと解釈していますが、
それで言えば、未だに親に対して…と言っても、現実にいるあの二人の人間に対して、何かを期待する気持ちは全くないのですが…世の中で「親」と呼ぶ存在-幼い子供にとって、自分を守り、愛してくれる大いなる存在-を持ちえなかったことを時々残念に思い、がっかりする気持ちも、あるがままにここに置いておいていいんだな、と思い直しました。
何十年も前のことを・・・
変えられない過去にいつまでもしつこくこだわって…
嫌なことを思い出すことで、その記憶を更に強化して、ますます気持ちを自分で落としている面もあるんだよ?
色々な自己批判の声が湧いてきますが、そんなことは十分わかっているのに、自分ではどうしようもないのだから仕方ない。
わんこロスの時は、その気持ちを大事にそこに置いておくことを自分に許せるのに、自分をこの世に送り出した者たちに歓迎されていなかったこと・愛されていなかったことを寂しく思う気持ちは、そう思う事すら自分で批判するのはなぜなんだろう。
あまりに惨めだから、未だにこの事実を否定したい気持ちがあるのかもしれないし、
育ちの中で刷り込まれたこと-気持ちをサポートしてほしいとか愛情を求めるのはわがまま・甘え・贅沢だ-がまだまだ優勢なのかもしれません。よく分かりません。
ただ、「あぁ~、残念な気持ちだな~」で置いておこう。
どう否定しようが、批判しようが、「この気持ちがある」ことは事実なのだから。