シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

人生の秋休みの意味

あくまでも、「私の場合」ですが、色々と学び中。
この「秋休み」を作らなかったら、これまでの生活が淡々と続いて、「あれやらないとな~」も、「これは出来ないよな~」もずっとそのままでした。

パートの仕事を辞めて来春で3年。その間に働いたのは(予定も含め)トータルで25日ほど。
わんこがいた時は、わんこのことでやることも考えることも沢山あったので、思っていたのの半分もタスク処理は進みませんでした。

わんこが旅立ってから一年半経とうとしています。
やっとお金の始末の終わりが見えて、やれやれ、です。

タスク処理以外にも、こうやって専業主婦という休み期間があって良かったな~と思うことはたくさんあります。

転職への抵抗は激減
パートで働いていた時も、厄介な同僚がいたりして時々辞めたい病を発病していました。
でも、一言で言うなら、「変化が怖くて」転職せず18年同じ職場で働きました。これはこれで学んだこともあったし、「こんな私でも頑張れた」と自信にもなりましたが、「こんなトラウマチックな記憶が染みつくなら、辞めても良かったね」と思う面も。
今はパートなら求人が多いからなのですが、「辞めてもどうにでもなるじゃないの」というのが正直な感想。
ぼんやり求人を見たり、働いている人を見たりしていると、「ある程度腹を括れば(うだうだしている私が言う事ではないですが)いろんな仕事があるし、どうにでもなりそうだな~と思えるようになりました。
次働いてみて、嫌だったら辞めればいい、は気休めではなく本気で思っています。


挑戦するゆとり=精神的エネルギーの余力
例えば、「パントリーチャレンジ」や「食費削減」
これも10年以上トライしては失敗し、を繰り返してきました。
理由は腰を据えて取り組んでいなかったから。ちょっとした「実現への工夫」をしなかったから。
「早めに消費したい食品箱」は作っても、目に入らないところに置いてみたり、チェックせずに適当にメニューを決めたり。有機的につながったシステムにできないから、在庫が減らない。

私は精神的なエネルギーを投入できないと、成果を出せるほど継続できないとこの”秋休み”で痛感しています。
今は緩く挑戦していますが、緩いなりに成果も出ています。
「今日の夕食副菜」を書き出す気力があるかとか、そういう些細なことです。でも、それが成否を分けています。

私の場合は、単に「時間」を作るだけではだめで(それは以前から何とかなった)、精神的エネルギーの余力を確保しないとダメ。
自分で大仕事と感じることは、本当にその一点に集中できるようにしにとダメだとよく分かりました。

再就職やわんこを迎えることの踏ん切りがつかないのはこれも大きいです。
やること終わってからじゃないと、「時間はあっても気力がない」に逆戻りだな~と心の奥から声が聞こえてきます。


自分に必要なのはこれだったんだな~としみじみ思うのも事実です。
この状態に今後一生とどまっているのも、それも自分の自由だけど、ちょっと違うな~と思うのも事実です。