シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

ありのままの自分でいられる場所がなかったことの後遺症

自分の中に根深く巣食っているものを時々感じます。たまたま見聞きしたものが、希求してきたけど自分には手にできなかったもの、経験できなかったことを思い出させるのです。
一言で言うなら、「自分のままでいられる居場所がなかった」・・・かな?
これが、「自分は存在してOKだ」という感覚が持てない原因なので、未だにしんどいです。
ことあるごとに、自分の希望に反してここにリンクしていく自分の思考回路もしんどい。後遺症です。

また悪夢
今朝は、母親絡みの悪夢でした。
実家で食事が出来るのを待っていました。母親が支度しているようだったので、何も言わずに待っていたら、父親は食事を終えた風で登場。どうやら床の間で食べてきたようでした。
「今日は向こうに用意してある」とさらりと言う母親。
我が家では床の間で食事するのは元旦の朝だけです。
「それならそうと言ってよ・・・」 なのですが、いつものように「確認しなかったお前が悪い」で終わり。
「いつもと同じ」と予想した私だけの落ち度なの?
毎度こうなんだよね~。母親の気持ち(やり方)を察しない私が悪者。


あるTV番組
満州開拓団が戦後生き延びて帰国するために、未婚女性にソ連兵の性的な相手をさせて自分たちを守ってもらった話。
他に選択肢がないぎりぎりの状況だったのも分かるけれど、一番辛かったのは犠牲になった女性たちだというのは事実のはず。でも、私の親だったら、父親は「何も起きなかったこと」にし、母親は、「みんな大変だった。お母さんも必死だった」と矮小化して、私を放置するんだろうな・・・と思う。
本当なら「仕方なかった」では済まされないことが実際には起きたこと、戦乱の問題点だとか、治安が乱れるとすぐに弱いもの(多くの場合女性)が性被害にあう現実だとか、そういうことも頭に浮かびつつも、「あの人たちは平気で私を見捨てた上に、”別に大したことはない”にしてきたんだよな・・・。」と嫌な感覚が蘇る。


ある本
多くの人があるがままの自分でいたいというけれど、それを叶えてくれるのは親くらいのものだ・・・云々
精神的に健康な保護者の下で育った人なら、幼少期の「あるがままの自分を受け入れてくれた世界(親)」のイメージを内在化して、現実には、辛いことも訳の分からないことも多いこの世を渡っていくよすがにするんだよね・・・。
それがない私はどうすりゃいいのよ。
   もう、それを提供してくれなかった親に腹を立てる気も弱まって入るけれど、
   がっかり感、”どうして?”という答えのない問いは続くのでした。


まぁ、ことあるごとにこんな感じ。
こういうことを感じても、「親との絶縁継続のモチベーション」くらいのメリットしかないんですけど、どうしようもないです。
考えが浮かんだ後に、とらわれないように別のことをする努力は出来ても、考えが浮かんで嫌な気持ちになること自体は止められません。



私がわんこに依存していたのはこの辺なんだろうな~と思います。
動物の前では、ありのままの自分でいられるから。
「この人は絶対に自分を見捨てない」という安心感を人相手に感じたことはないけど、わんこは違いました。それは、わんこの命を握って自分に依存させていた(完全に支配していた)から、ではあるのですが。

これは人間相手だと無理。相手にも考えがあり、自分とは別の存在だとみなす時、他者の前でかなりの部分をオープンにしたままリラックスするのは危険すぎるからか、私にはできません。
本当にこれができる人は、その相手を「自分と同じ一人の人間」と見なしていない(物体扱い)」のではないかと思います。私の親はそうですけど。
たとえ自分の方が絶対優位の立場で、相手が表立って反抗・批判しないと確信があっても、内心までは支配できないし、覗くことはできないから、「馬鹿にされるかもしれない」とか、「こいつは自分に害をなせないけれど、自分に不利な情報を振り撒くことはできる」とちらとでも浮かぶなら、おのずと限度がでてくる。
心許した相手だと、「この話題は相手とは全く価値観違うからやめておこう」とか、「これは相手を不快にしそうだからやめよう」とか、ストッパーがかかったりはあるし。

わんこは私がどういうことを考えているかは関係なく、私が何をするか・しないかだけで判断してくれる相手だから、安心できるんだろうな~。
わんこが昼寝しているときに、私が昼寝を妨げない範囲で何をしていようが、採点は全くしないのに、無関心でもないのが「ありのままでいられる」感覚をくれた気がします。
この程度の「ありのままでいられる状態」なら、人でも提供してくれるでしょうが、相手が「人」というだけで、受け手の私に素直に受け取る度量がない(それほど人間というものを信頼できない)からどうしようもないです。

わんこがくれた感覚は、「自分は存在してOKだ」を育ててくれるものともちょっと違うのですが、慰めてくれるものではありました。
子供の時から動物が好きで、一緒にいるとホッとしたのはこういうことなのかもしれない。