シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

誕生日への複雑な思い

先週からメンタル落ちていますが、誕生日が近いことと、最近の悪夢が結びついているのもある気がします。

小学生の頃は特に誕生日祝いをしてもらいたかったですが、少なくとも親の方から「何をしてほしいか」とか、「プレゼントは何がいいか」とか、聞かれた記憶がないです。
自分からリクエストしてケーキを買ってもらったことはありますが、プレゼントは小2で途絶えました。
基本、何もないいつもの日、でした。

後付けの理屈な面もありますが、当時も心の奥底では親に愛されてはいないと知っていたから、せめて誕生日を祝われることで、それを否定したかったんじゃないのかな…自分はここにいていい、生まれてきたことを祝福されたいと思っていたんだろうなぁ、と想像しています。

私は生まれた時から3人きょうだいの末っ子だったから、年に1日くらいは、自分が主役になりたかったのもあった気がします。

まぁ、どちらも叶いませんでしたけど。
当時、自分の気持ちを言葉にすることが出来たとしても、「甘えている」と嘲られ、否定されて終わりだっただろうな~。だからもちろん何も言えませんでした。

絶縁の前ですが、母親に、「お前の誕生日いつだっけ?」と言われて、愕然としたことがあります。
私はわんこの誕生日も命日も、一生(ボケるまで)忘れようもないのに、私を産んだ人が私の誕生日を覚えていないんだ…。まぁ、その程度のものだよね。・・・その程度のものなんですか?
自分で書いていて惨めになる…。
子供が複数いるから、自分が子供を産んだ日を忘れるものなのですか?
忙しくて、気づいたら過ぎていた、はあるでしょうが…記憶にないってあるんですか?
50代、60代の世の母親たちに聞いてみたいです。
どうせなら、二女(私)がいることを忘れてくれたらいいのに。


誕生日にはねじれた気持ちが絡んでいるせいか、祝ってもらっても、上手く相手の気持ちを受け取ることが出来ません。
スルーされると寂しいくせに、プレゼントを贈ってもらうと、何だか相手に負担をかけたようで申し訳なくて困る、みたいな感じ。
お祝いメールが来るくらいが丁度いい。
それだけ、「自分は大切にされてもいいんだ」と自分で思えていないってことなんだろうな~。


誕生日は、「ここまで生き延びてきたなぁ」な記念の日でもあるのでしょうが、私にとっては、「親に愛されていないと思い知らされた日」でもあるので、複雑です。

楽しく祝って記憶を書き換えればいいんだろうか? と思う時もあります。
ですが、却ってギャップが際立って、あとから気持ちが落ちそうな感じもあります。

自分の誕生日が「何とか一年生き延びたなぁ」としみじみとかみしめる日になったらいいなぁ。


わんこの誕生日は毎年お祝いをしていました。
一年無事に過ごせてよかったなぁ、また一年よろしくね、な気持ちもあったし、
わんこが好物を前に嬉しそうな姿を見るのも、記念に撮った写真を見返すのも好きでした。
(ほとんど飼い主の満足のためのイベントでしたが)

私がわんこを見ていたような眼で、親が私を見ていてくれたことはないんだよな…。
過去は変えられないから、どうしようもないし、自分で折り合いつけて、上手く解釈してやっていくしかないと分かっていても、時々がっくりくるのはどうしようもないです。

がっくり来るのは、まだ整理がついていない証拠でもあるから、思う存分(?)がっかりして、この残念感を消化してしまいたいです。