シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

「仕方ない」では済ませられない、どうしようもない話

わんこロスで、死別関係の情報に接していますが、言葉も出ないというか、救いがなさすぎるというか、何というか・・・な現実も時々見かけます。

親の一人は植物状態で24時間要介護、もう一人はガン。ペットもガン。相次いで亡くされたそうですが、ご本人は、自分では背負いきれなかったので、結局命の優先順位を付けてしまい、今もそのことを考えてしまう、とつぶやいていました。

回復の見込みがなく、本人も意思表示が出来ないからでしょうか、植物状態の親を入院させると、雑に扱われて骨折したり、ケアのミス・ケア不足からくる別の病気になったりが多く、一息ついて自分が休むこともできなかったそうです。
あぁ、あるだろうな・・・そうだろうな・・・現場は人手不足で、しわ寄せがいくんだろうな・・・
他人事としてみると、「仕方ない」とつい口を滑らせそうになりますが、当事者からすれば、全くもって”仕方なくなんかない”。
もう一人の親とペットのがんの発見も遅れ、親はホスピスには入れたけど、もう一人の親の世話があって見舞いにも行けないうちに、がんの親は意識混濁状態に・・・。

う~ん。
多分、現場にはこういう事例はいくらでも転がっているんだろうなぁ。

現実がここにあるのに、解決法は遠い・・・
社会システムで考えるなら、特に複数被介護者を抱えている人への支援システム
                  尊厳死の制度化
                  介護者・遺族ケア   
これが連携して機能して、死にゆく人も、見送る人も、救いようがないほど追いつめられることが少ない社会になるのかな・・・。素人の思い付きで対処可能とも思えませんが・・・。
多分、「やっと少しは社会も良くなった」ところでまた別の問題が浮上してくるんだろうな・・・。

「子供が親を看取るべき」なんて言っている人は、こういうどうしようもない現実に突き落とされて、燃え尽きてしまう人が大勢いることをどう思っているんだろう・・・。
自分はそうはならないと高をくくっているんだろうか?
多分、自分が相手の為を考えることを含めて、手抜きしたせいで、相手が酷く苦しんだり、不当に寿命が縮んだりしても、すべて「仕方なかった」と流せる人なんだろうな・・・。 (私の母親はこのタイプ)           

自分は孤独に死ぬのかも、とは思いますが、
                       きっとわんこは迎えに来てくれる と能天気に信じていよう。