シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

複雑性悲嘆の予感

このわんこロスが「複雑性悲嘆」なのかは私には分かりません。
日常生活は辛うじて送れているので、当てはまらないかも・・・ですが、それは自分の体調・心の状態に合わせて仕事量・内容を加減できる主婦だからで、私が外で働いていたら、ミスばかりして使い物にならない自分を発見しているかもしれません。

でも、夫が旅立ってしまったら、なるだろうな~とは思っています。

複雑性悲嘆になりやすいケース

「もともと精神的な結びつきが強かった夫婦が死別してしまった場合」
「亡くなった人に対して心残りがある場合(もっと健康管理に気を使ってあげればよかった、など)」
「幼少期、親からの愛情を十分に受けられなかったのに、とても良い伴侶を得ることが出来て、生まれて初めて安定して人間関係を築くことができたのに、その相手を失ってしまった場合」

「死の直前、亡くなった人と過ごす時間が少なかった人よりも、毎日一緒に過ごした人の方が複雑性悲嘆になりやすい」 という説(?)もあるそうです。


夫と「精神的な結びつきが強い」のかは比べる人間関係が少ないのでよく分かりませんが、少なくとも、夫婦ともに育ちに問題があって、この関係が「大事な数少ない安定した人間関係である」のは間違いないです。現時点では。
子供がいないので(子供がいたからと言って、その子と安定した人間関係があるとは限りませんが)、配偶者を失ったとき、一時的に”心を安定させる足場”を子や孫にシフトして乗り切る、という選択肢もありません。

複雑性悲嘆になる予感がするからか、余計夫に先立たれるのが怖いです。



わんこについては、ずっと一緒にいたことも、ロスになる理由の一つなんだな~と妙に納得です。
私の人生で、わんこ以上に同じ時を過ごした相手も、一緒に出掛けた相手もいません。
最後の一年は仕事も辞めて側にいたしな~。闘病が始まってからはつきっきりでした。
このことに全く後悔はないです。というか、むしろそうして良かったです。
自分の都合で勝手に連れてきたのに、寂しい思いをさせてばかりだった・・・なんて後悔があったら、耐えられません。自己嫌悪で死にたくなる。

生前は深い愛情で結ばれた幸せな時間を過ごして、死別後は「これも自然の理」と受け入れて、心穏やかに見送り、自分の人生を歩んでいく―なんて、ただの理想論だな~。