連休は、「天ぷらそばが食べたい!」とわがままを言って夫にランチを付き合ってもらいました。そのあと家でお相撲見て、その日は平和に過ぎたのですが、翌日夫が出かけたら、また一人で涙です。
流れに任せるしかないよな~というのが自分の主な考えなのですが、
いや、ググッと我慢して、「前に進むぞ!」って自分に声かけた方がいいのかな?
もっとどっぶり浸かって、悲しみ抜いた方が、出口に早くたどり着くのかな?
と思ったり。
暇なせいなら、働くなりして忙しくするのがいいのかな?
(これは、余計自分の本音(無意識)にアクセスできなくなりそうなので、却下)
身辺整理が進めば何か見えると期待してるけど、空振りの可能性もあるんだよな~
そもそも、いつ終わるのか、見えないよ…。
目標は設定したけど、思ったより作業内容が多くて、現実は厳しい感じだしなぁ。
まぁ、これでもかと雑念が浮かんできます。
分かっているのは、「今働きに出ても、ペットを迎えても、状況を複雑にするだけで解決にならない」ということだけ。まだ時期じゃないと感じます。
結局は、身辺整理を進めつつ、今後に備えて家事の効率化やら、常備菜レシピを増やすとか、体力づくりのためにほどほどに運動するとか、出来ることをやりながら、”その時”が来るのを待つしかないんだろうな~という、いつもと同じ結論になるのでした。
「死別悲嘆からの回復」で考えると、生前相手(わんこ)に依存しすぎていた、一緒にいすぎたから、時間がかかっている、ってことになるのでしょうが、それだけ大事にできる相手とご縁があったということでもあるから、悪くはないです。
気持ちの面ではいつ頃までにはこうなっていたらいいな、と線を引くのは止めよう。
いつかは・・・に留めておこう。
この先、特別やりたいことがあるわけでもないですから。
今はペットもいないので、責任もないし。ありがたいことに、働きに出なくていい状況だし。
人生の中休みが、1,2年長引いたからと言って、どうということはありません。
それよりも、自分自身(日ごろ無意識と読んでいるもの)と繋がる方が私にとっては重要で、今は転機には違いないから、無意識にアクセスしやすくなる方法を見つけやすい時期だという気がしています。