シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

実は長年傷ついていた・・・と自覚した話

何度も書いているネタですが、私はわんこのことでは神経質で、何か気になるとすぐに病院に連れて行くし、わんこが若い時から定期検診も受けていました。
毎月耳掃除で通院するほど。タクシー通院なのもあって、一部から失笑を買っていたのも知っています。
 
飼い主仲間にも色々な人がいて、
神経質だとか、「いつもちゃんと病院行くから大丈夫よね~」(微妙に嘲り口調)とか、
「あなたはペットロスになりそうよね」(上から目線)とか、 まぁ、あれこれ言われました。
(もちろん言わない人の方が多いし、同じ考えの人もいます。)
 
「これが私の世話の仕方だから!」 と思って続けてきましたが、実は傷つきが思っていたよりもたくさん積もっていたみたいです。
私のやり方を肯定してくれる人が増えて、初めてはっきり自覚できました。
 
母と似た性格で、時々私を嘲ってきたとある飼い主さん。
最近愛犬を亡くしました。
すると、「おたくはこまめに病院に行っているから、早期発見もできるし、きっと長生きするわよ!大丈夫よ!」と、嘲りも上から目線もなく励まされてびっくりしました。
ご本人、長年わんこ介護して、病院にもこまめに通っていたので、自分のやってきたことを肯定したい気持ちがこの言葉になったのかな・・・。
以前、この方には入れ込み過ぎだとか、ペットロスになるとか嘲られたので、面食らいました。
 
他の愛犬を亡くした飼い主さんたちが、
「あの時病院に行っていたら」「気づくのが遅かった」などの後悔の言葉を漏らすのを聞いて、
「自分の世話の仕方で良かったんだ」と思えるようになって、逆にこれまであれこれ言われて傷ついていたことに気付いたのです。
 
私はちょっとしたことで傷つきやすいんだな~ と再確認。
無理に強くなろうとせず、弱くて傷つきやすい私でも生きやすい場所を探して、そこでひっそり生きていこうと思うようになってきました。
自分で思っているより、かなり弱いです。しかも、傷つき体験を消化できていない自分を自覚して、処理することも出来てないし・・・。
 
 
 
もう一つ、幸せだったかは死まで見届けないと分からない、というヘロドトスの言葉を思い出します。
日頃、他人のわんこの世話の仕方をあれこれ口に出して批評する人もいるけど、その人の方針が望ましいスタイルなのかは、その人が自分のわんこを看取って、後悔少なくいられたかまで見届けないと何とも言えない、ってこと。(後悔もしない、それ以前の人も残念ながらいますが)
 
子育てとか、家族関係もそうなんだろうな、と思います。
母は、精神疾患のある義姉の老後をお前が見なきゃいけなくなるんじゃないの?なんて気にしていましたが、義姉は成年後見人さんの法的サポートと、義兄の世話で、(早すぎる死ではありましたが)、自宅で亡くなりました。義兄の話では、嫌いな義父も施設に入っていなくなり、のびのびしていたそうで、将来を悲観したり、不安にさいなまれたりはしていなかったよう。亡くなる直前の数年は、義姉にとって、穏やかな日々だったようです。
 
母は、子供三人育てたのに、二人からはそっぽ向かれ、その事実を受け入れて将来を考えている風もなく・・・不安な老い先になるリスクを自ら育てています。
 
 
他人の無責任なご意見は、話半分どころか、2割くらいに聞き流しておくのが良さそうです。
  ・・・それが上手くできないせいで、性懲りもなく傷ついたり、怒ったりしているわけですが・・・