「お前のために、お義姉さんが亡くなって良かったと思っている」と言ったこと。
これも、絶縁電話の時に言われた気がします。
父親は、精神障害者の義姉が長生きしたら、私が義姉の世話や介護をすることになるだろうから、義姉が亡くなって、片付いて良かったね、と言いたかったらしいです。
こう言う事で、「俺はお前の幸せを願っているんだよ」とアピールしたつもりのようでした。
この発言には今でも怒り心頭です。
極力冷静に、一歩下がって、自分も以前、義姉に義兄より先に亡くなって欲しいと思ったことを後ろめたく思っていて、別の形でそれを言葉にした父親に対して、自分の思いの気まずさや罪悪感をのっけて怒っているんだろうか? と考えてみたりもしました。
義姉に成年後見人さんが付く前は、義兄が先に亡くなって、同居家族(当時残っていたのは義兄のみ)以外と会話もしない・できない義姉が、一人になったら正直困るなぁと思っていました。義姉は一人暮らしは難しいだろうし、病院や施設で暮らすのも義姉には辛いだろうし、何より、病院や施設に移るように誰が義姉を説得できるんだろう?と、八方ふさがりになるのが見えて、暗い気持ちにもなりました。
・・・・何度も自問しましたが、義姉の”この先”に関わらざるを得ない私がこう思うことを後ろめたく思う必要はないと自分で納得しているな、と分かりました。
多分、自分は自分が大変になるのは嫌だとは思っているけれど、義兄や義姉が精神障害者だから早く死んでほしいとか、天寿を全うできなくても構わないとかは全く思っていないと自信を持って言えるから、後ろめたさもないのだと思います。
できれば苦労したくないと思う自分を責める気はありません。
父親はもともと差別意識の強い人です。
男女差別しかり、職業差別しかり。子供がいない夫婦は、「楽をしたくて人としての義務を放り出した無責任な人たち」扱い。
自分に自信がなく、小心者なのの裏返しです。
だから、障害者の義姉が亡くなったことを、何のかかわりもない、関わる気もない彼が、「良かった」と勝手に判定するのでしょう。
私は自分を見捨てられる側、抑圧される側、差別され搾取される側に見る癖があるので、「差別は良くない」という正義感ではなく、死んで良かったと勝手に判定された義姉に感情移入して、「お前は私の生死にすら〇×を付けて、神になった気にでもなるつもりか!」と怒り心頭になっている、が一番私の本心に近い気がします。
彼は彼の物差しで言えば、「世間の役に立たない、早く消えた方が世の中の為な存在」になり果てている現状を全く見ずに、「かけがえのない私」として人生楽しむ権利があると思っているんだろうな~。
おめでたくて、ある意味羨ましいです。
他の事は、極力距離を広げて彼らのことは忘れようと思っていますが、この件は忘れないだろうな。
今日、自分が一部の他人から「生きていて意味があるのかね、この人?(早く死なせてあげたら?)」と思われる立場になるかもしれないという現実を、”想定外”に置いて、あれこれご立派な判定を下して自分が賢明だと錯覚している(ように私には見える)人は嫌いです。