この本の内容から・・・
精神的に完全に健全な家族、というのはないのに、家族の抱える問題(親族との関係とか、子供の反抗期とか、家族の病気とか)をそこそこ上手く乗り越えながら機能している家庭と、
虐待の起きる家庭との違い
=応援団がいるか じゃないか、とありました。
とっても納得!
母親は、私が小中学生の頃は友達はいませんでした。孤立して応援団のいない状態。
近所のお母さん達が集まっておしゃべりしているのにも不参加。
「人の噂話や悪口ばかりで、私は嫌い。」
が母の弁。(これには賛成ですけど・・・)
そのくせ、私に父親の浮気話や、祖父母の悪口を散々聞かせて、自分の重荷を私に負わせました。
「他人にはいえないし、お前しか言う相手がいない。」
が母の言い訳。
今、当時の母親の年齢に近づいて思うのは、
確かに、夫の浮気や親族の金銭問題は気軽には話せないと思う。
でも、言っても差しさわりのないエピソード(夫は亭主関白の威張りんぼだとか、舅・姑との付き合いにうんざりする面があるとか)だけでも誰かに話してガズ抜きすれば、随分違ったんじゃないかな・・・?
そのくらいなら、いちいち噂されたりもしないだろうし(ちいさなネタを大きくして噂するのが好きな人は、沈黙を守っていても人を悪く言うので、防ぎようがない。)、聞き流してくれる人もいたんじゃないかな?ということ。
母親にしてみれば、身近で、話を聞くことを拒否される心配がなく、言いふらされて困る心配もない相手=子供 に愚痴を垂れ流すのが楽だったからそうしたのでしょう。
私はどうかな?
応援団っているのかな?
わんこが来てから、いい感じかもしれません。
ちょっとしたことなら話せるわんこ仲間や、パート先の同僚。
打ち明け話が出来る数人の友達。
パートナーの夫。
こうして文章にする”ブログ”という場。 気持ちを出したり、相談したり出来る場はあります。
夫実家のこと・・・特に、義姉と義兄の病気のことも、ねじれた親子関係も、オープンにしているので、(聞くほうは困るかもしれませんが)私は気楽です。
義姉と義兄のことは、子供がいたら近所の人には言えなかったです。
中には、精神疾患に偏見がある人もいるので、子供が嫌なことを言われたり、苛められる心配があるからです。
オープンにするかは、子供が大きくなってから、一緒に考えたと思います。
(家族の中で、”触れてはいけない話題”にはしませんが)
「困っていること」は問題が大きくなるほど言えなくなる。
じゃあ、小さなうちにオープンにしてしまおう! が今の私の方針ですが、
それでいいみたいです*^-^*