児童福祉施設に入所している子供に、
「何が一番欲しいですか?」と聞くと、
「自分だけの誕生日ケーキ」とこたえている子がいました。
ある本で、海外の精神障害児クラスのある子が、
「私のお誕生日パーティーには、ケーキがあるの?」 と聞くシーンがあります。
子供にとって、 「自分の誕生日を祝う為だけのケーキ」 は特別なんだな~
自分だけじゃなかったんだな~と。
日頃は、大勢の子供の一人、でも、誕生日祝いの席だけは、自分が主役で、
みんなに祝ってもらって、誕生日ケーキのろうそくをく吹き消すイメージです。
自分は望まれてここにいる
自分は、かけがえのない一人なんだ、と思える
そういう象徴が「誕生日ケーキ」なんだと思います。
この話に触れて、去年から、母の日・父の日のプレゼントをやめて(カードや電話もなし)、気が咎めていましたが、ばかばかしい罪悪感だ、と気付きました。
経済的な理由でもなく、忙しくなったせいでもなく、単に「もう面倒になったから」小学生半ばの子供の誕生日祝いをやらなくなった母親、それに気付きもしない父親に、
(結果的に、末っ子の私は誕生日を祝ってもらった回数が、兄弟の中で一番少ない)
なんで毎年
特別な、あなたの為だけに用意したプレゼント
を贈らなくちゃいけないの?
やっとこのばかげた罪悪感から解放されました。
律儀に10年以上贈り続けた自分がくやしい。