先月は誕生日でした。
どうあがいても、子供時代は取り戻せないし、再体験でやり直して満足することもできない、ということをやっと納得できた気がします。
頭では分かっていても、ずっとあがいていたんだな・・・。
誕生日祝いをしてもらえなかったこと(正確には、小3頃から誕生日祝いがなくなったこと)は、
私の大きなトラウマです。
せめて誕生日くらいは、自分が主役になって、親の愛情を確認したかったのだと思います。
誕生日ケーキのろうそくを吹き消して、ラッピングされたプレゼントを親から貰う・・・ささやかな夢が叶うことは途中からなくなりました。
リクエストしてケーキを買ってもらった年もあった気がしますが、要求して出てくるお祝いは、無視されるよりはいいけど、惨めでした。
先日の誕生日には、夫や友達からプレゼントやカードをもらって、祝ってもらいました。
それはそれでとても嬉しかったし、この年になっても祝ってくれる人がいるのはいいな~と幸せではありました。
でも、取り戻したかった子供時代の誕生日の空白を埋めるものとはまったく別のものなんだ、と分かりました。
どんなに嬉しくても、これは「今」受け取っている暖かい気持ちなのです。
買い物依存が出て買い物をするとき、
手元に置いていたら、何となく癒されそうだとか
このデザインを作っている時に、何か心の穴を埋められるかもしれないとか、
そういう基準で買っているときもあるな~と思い当たります。
でも、それで過去の穴を埋めることは出来ませんでした。
それが買い物を続けてきた理由の一つのようです。
過去に戻って穴を埋める作業が出来ない以上、仕方のないことです。
今、どんなにセメントを買っても、過去の穴を埋める工事は出来ません。
そう分かっていても、何とか取り戻せないか、
今からでも癒せないかとじたばたしていたみたいです。
過去に手を加えることは出来ない
過去はただここある事実の軌跡
この事実を受け入れ始めたようです。
それと同時に、あの人たちの一部も確実に「過去」になりつつあります。
あの人たちの愛情や承認を得たい、とあがく気持ちも、少し減ってきた気がします。
子供のときと今を切り離して捉えてみると、
子供の時は、自分の気持ちを封じても欲しかった親の関心や愛情ですが、
今は別に・・・
勿論あれば嬉しいけれど、なければ生きていけないほどのものではないようだ、と
分かる瞬間が増えてきました。
(これも、頭では以前から分かっているのですが・・・)
この気持ちも、まだ揺らいでいるので、また変わるかもしれません。
でも、ゆらゆら揺れながらも、時々「過去は過去」と割り切れる瞬間が出てきたのは、
回復の一つのしるしと思いたい。