シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

夫への怒り

亡くなった先代犬には愛情しかなかったから、別れを想像するだけでも辛い、哀しい、可能なら避けたい、でした。

夫に対しては、残念ながらそうじゃない。急に神経難病になって、本人にもよく分からない間に認知機能が落ちて、体も不自由になって、家に戻れなくなって・・・夫の辛さや悔しさは、想像もできません。これまでのように「仕方ない」で受け入れてきたのかな。今の夫に怒っているわけでもないけど、でも、何かには怒っています。

 

突然夫が病気になって、不安や当惑にもまれながら、流されるままの現実にも、多分、怒ってる。

 

夫が、様々なことを私に丸投げしてきて、それに抗議しても・・・抗議が足りなかったのは認めますが・・・真剣に受け止めている様子のなかった夫にも怒っています。

老い先のことなどでの夫の「何とかなる、なるようになる」は、「妻が何とかしてくれる」がかなりの割合で含まれていた気がします。

「年金は多分殆どもらえないよ」と言いながら、「じゃあ、どうする」のなかった夫。

終の棲家について、「議題として妻が具体案を出してきたら考える」と考えることを放棄していた夫。

テレワークになってから、私がパートや用事で外出する時、「ケージに入れておけばいい」と長時間になってもわんこの世話を全くしなかった夫。

病気になって退職したいと言い出したときも、今後の生活資金について、全く考えていなかった夫。(私が何とかしてくれるとでも思っていたのか?)

 

いつの間にか、「大きな子供」になって、私に寄りかかっていた夫。

 

老後の家事分担も、「しない、したくない」とは言えないからか、「妻の要求するレベルの家事は無理だよ」と逃げ腰。「お互いのできるレベル、要求レベルをすり合わせて、新しい生活を作る必要があるから、私もできるだけ自分基準を押し付けない、冷静に話し合うようにする」と言っても、反応は薄かった・・・。

夫のわんこへの態度などを見ていても、段々、老いてから私が要介護になっても助けてもらえないかもな・・・と不安になることが増えました。

結局、私がメインでずっと家事をやって、家庭のマネージメントもやる羽目になるのかな?と不安・不満もくすぶって、夫がお荷物になりそうな気がしたり。

離婚を考えるほど夫が嫌いになったわけでも、我慢ならない!になったわけでもない。経済的に・・・年金生活になっても夫に依存する気でいたから、自分も面倒だと避けていないで、50代の今から、夫への働きかけをしていかないとな、と思っていました。

そうは思いつつ・・・どうして私が夫に話し合いのテーブルにつくところから説得しなきゃいけないのか・・・とそれも不満でした。

パートナーだよね?二人の暮しを考えるのは、お互いの義務だよね?

 

ある雑誌に、テレワークになって家に居場所がないという40代男性に、「職場で全く仕事をしない人に、居場所がありますか?家庭は、家事・育児・介護をするところです。それをしない人に居場所はありませんよ」と答えたという話が載っていました。

テレワークになって、通勤2時間分自由時間が増えたのだから、その1割でも家事をやって欲しいと思ったけど、夫は動かず。この件は言わなかった私が悪いけど、でもなぁ。

 

義父が認知症だと分かった頃から、夫が呆けるんじゃないかと心配でした。人付き合いもないし、健康のために何かしようとか、どういうことがマイナスかの情報にも興味がないし、多分、定年後は引きこもりになる・・・。

努力で認知症を避けられるわけじゃないけど、夫は「なりやすいライフスタイル」まっしぐらな気がしていました。

健康管理に無関心なのも、「看病や介護で苦労するのは妻。妻に迷惑かけたくないとは思わないのかな?」と夫の愛情を疑うことも多々ありました。

 

何やかやで、夫への不満・不安・怒りが溜まっていました。

以前は、それをカバーする他のものも沢山ありました。私を否定せずに話を聞いてくれたり、何でも「やってみれば?」と好きにさせてくれたし。・・・だからと言って、その後どうしたのか聞くこともなく、私に無関心だった面も大きいのですが・・・。

 

結局、人生の締めくくりも私に丸投げかい!(怒) と、この運命にも怒ってます。

 

怒りながらも、怒りきれない部分も多い。

夫も機能不全家庭で育ったから、「どうして?」とか、「こうだったらいいな」とか感じると余計辛いだけだから、何も感じないように、我慢している自覚もせずに、あるがままを受け入れて自分を守ってきたのだと思うから。

夫が病気になって、それを強く感じます。

入院当初は、認知機能も今よりしっかりしていたから、入院が辛そうでした。でも、帰りたい!!とごねたりはしませんでした。「仕方ないよ」と諦めていた・・・諦めようとしていました。

私が辛すぎて死にたいと言っても、「それは妻の自由だから止められない。でも、わんこはどうするの?」と言って、「自分はどうなるの?」とは聞かなかった・・・。

夫の奥深い根の部分に、無力感がどーんとあって、「自分にはどうしようもない。希望を持ったら辛いだけ」になっている、そんな気がするのです。

でも、動物である以上、「こうしたい」は必ずあるはず。

それを抑圧し続けて、魂が疲れ果ててしまい、もう逝くことにしたんじゃないだろうか・・・そんな気がすることもあります。夫は、これまで問題行動を起こしたり、私のように「親子関係が辛い、奴らが憎い!」と騒ぐことはありませんでした。両親が亡くなった時も、私が知る範囲では淡々としていました。

表に出ないだけで、感じていないつもりなだけで、夫の魂は、何かを感じていただろうと思うのです。

 

こう考えると、「見守りやサポートの全てを親に任せて安心している子供のように、稼ぐこと以外の生活のことを全部妻にあずけて、世話してもらって安楽に暮らした結婚生活」は夫にとっては、ほっとできる暮しだったのかな。

夫は、仕事が嫌だという時期もあったけど、基本「稼ぐのは好きだから、苦じゃない。家事をやれと言われるのは嫌」と言い続けていたので、働くのは嫌じゃなかったようです。

 

本当のことは分かりません。私が何となくそう思っているだけだから。

この怒りに折り合いをつけるのも、私の課題の一つです。