シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

いいことに目を向けて その2

夫は治療できない難病だと医師から説明を受けて3日目。

これまでも、若年性認知症かも、進行性核上性麻痺の疑い、ヤコブ病かも、と言われる度に動揺して不安になり、落ち込みました。

が、今回はこれまでとは違う衝撃が続いています。

今までは「疑い」だったけど、今度は決まってしまったのが大きい。いえ、決定打と言っていい。夫の予後は分からないけど、夫が還暦を迎えることはなさそう。そこは覚悟しなきゃならない。早ければ年内に寝たきり&意思疎通困難もあり得ます。

 

 

確定診断を希望しての転院で、希望通り丁寧に検査してもらえて、私にも分かるように詳しく説明もしてもらえました。この点はとても良かったです。「あの時、もう一歩踏み込んで検査をしていたら、本当は治療できる病気で、結果が違ったのかもしれない」と後悔せずに済みそうです。

 

難病申請などができるよう診断書を書いてくれるそうで、これも大きな安心材料です。前の神経内科ではどう対応してもらえるのかも分かりませんでした(未確認でした)。医学的な”正確な診断”とは少し距離があっても、現実の療養生活を少しでもよりよく送れるように、と考えてもらえていると感じられて心強いです。夫の病気は厳密な診断を追及するといつまでも「疑い」のまま経過観察になりがちなのだそうです。現時点の検査結果でできるだけの対応をしてくれるそうです。

 

経済面では、所得補償保険の支給対象になりそうで、ほっとしました。治らないけど、「認知症としか言えない」との診断だったらどうしよう・・・と不安だったので。世知辛いですが、「介護の沙汰は金次第」は現実です。何とか夫60歳までは暮らせるかな。

こうなってみると、退職から休職に変えて欲しいという希望を受け入れてくれた夫の勤務先、この話の間に入ってくれた夫の上司には感謝してもしきれません。

申請が通るかは分からないけど、難病申請もできそうだし、介護保険も使えそうです。

 

夫が体調を崩してから、ずっと「一体何が起こっているのだろう。どうなっていくのかな」と不安でした。一定の診断がついて、辛いけど、次のステージに進むしかなくなりました。夫の身体に起きていることは変えられないから、ずっと診断がつかずに「どうなるのかな」と同じ場所でぐるぐるしているよりはいい、と思いたい。

今はあまりに辛くて、「無理に進まなくていい」と自分に言い聞かせている段階ですが・・・。

 

こうなってみると、夫の認知機能が落ちて、体力落ちて、おそらく病院でも寝てばかりなのは不幸中の幸いかも。知り合いのご友人の息子さん(50代)も神経難病で入院中で、意識がはっきりしているから、胃ろう・気管切開になって辛そうだし、何かにつけて帰りたがるのが辛いと言っているそうで・・・それはそれで、ご家族もご本人も辛いだろうな、と思うので。

私は夫と話がしたいし、すぐに忘れてしまったり、「疲れたから」と黙ってしまうのが寂しいし、今後は面会できても会話ができなくなるのかな・・・と別の切なさがあるので何とも言えませんが。いいように現実を解釈して乗り切る方がいい。

 

今も周りの支えとわんこの癒しで何とか生き延びています。

暗い話でも聞いてくれる人がいて、本当にありがたいし、心強いです。

まめに連絡をくれるのも、支えてくれる人がいると感じられて、それだけでかなり違います。

 

夫の病気、いずれ来る別れへの覚悟は、自分一人で消化するしかないこと、とは思っています。ですが、その道のりに、支えてくれる人たちがいてくれるかで全然違います。

 

    どんなに苦しいことも、つらいことも、決していつまでも続かない。
    辛抱していれば必ずいい時が巡ってきます。   瀬戸内寂聴

 

    この言葉を支えに、一日、一日を過ごしていけますように。