シンプルライフへの遠い道

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生きるための安楽死 シャボットあかね著

副題:オランダ・「よき死」の現在

オランダの安楽死制度についての本。制度がどういう経緯でできたのかや、今の動きや課題など。

病気などの身体的苦痛が大きく、死が迫っている人が”安楽死”するのは理解できるし、いいと思うけど、最近は若い精神疾患の人も安楽死する場合があるとどこかでちらと聞いて、「それは違うんじゃないの?」と思っていました。

が、この本を読んで考えが少し変わりました。

長年精神疾患に苦しんで、様々な治療を受けてきたけれど改善せず、苦痛があまりに大きくて、本人が長年死を願っている場合・・・精神疾患を「脳の病気」と考えると、治療が難しく、苦痛を軽減できない場合もあるのは分かります。突然の自殺で家族を失うのではなく、安楽死という形で、心の準備もある程度したうえで、自分もそばに付き添ってお別れしたいと望む家族もいるというのも、理解できます。長年本人の苦しみをそばで見ていたら、本人の死にたい気持ちを止められないと思うようになる人もいるだろうし。

本当にケースバイケースだから、安易に判断できないことに気づきました。

 

日本では、「家族に迷惑をかけられない(暗に圧力がある)」を、自分の希望より優先してしまう文化があると私個人は感じているので、将来安楽死を認めるとしたら、しっかりしたチェック機関や、本人・家族などへのサポートなどが必要だと思います。

「家族に迷惑」のベースには、「家族内で何とかしろ」という社会の圧力がある⇒家族の負担が重くなる⇒家族としては、”やってられない”になる悪循環があるように思います。

まずは弱者とその世話をする家族などの身近な人へのサポートや、弱者の居場所作りとか、そちらからだろうとも思います。残念ながら、こういうことへの予算は、削られ続けているようですが…。

 

心惹かれたのは、「本当に死にたくなった時に、苦しまずに死ねる方法(薬物など)」を自分で確保しておくこと。オランダでは、議論にもなっているし、それを実現しようとする組織もあるとか。

病気が進行したら、ひどい苦痛は避けられないと予想される場合などに、「いつでも死ねる安心感が、もう少し頑張ってみようと思わせてくれる」というのはあるでしょうから。

 

一番心に残ったのは、あとがきのエピソード。

オランダ在住歴の長い、熊本出身の方のおばあちゃんの話。

「あるとき、「私はもう食べません」と言って、寝たきりになった。家族も医者だなんだと騒がず、そばで見守って、おばあちゃんは自然に亡くなった。そういうのって、当時田舎では珍しくなかった」

自分で、「もうそろそろ、いいかな」と判断して、亡くなっていく。私個人の想像ですが、実際の死期も近づいていたからこそ、「食べない苦痛」はあまり感じずに、自然に旅立てたんだろうと思います。こういうの、いいなぁ。