シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

ある世捨て人の物語  マイケル・フィンケル著

副題:誰にも知られず森で27年間暮らした男

この世捨て人が書いた本かと思ったら、著者は世捨て人を取材したジャーナリストでした。
最初は、本人が書いたものでないとつまらないかも、と思いましたが、これはこれで興味深く読めました。

この”世捨て人”は、20歳過ぎに、大きな決意もなく、ふらりと森に入り、そのまま森で隠れて暮らしていた人。食料や必要物資は近隣から盗んでいました。最後は捕まり、世俗に戻ることに。
本人にも、自分がどうしてこういう暮らしを選んだのか説明できないのだそうです。

27年も全く人と接触せずに暮らせる人がいるんだなぁ。本当に色々な人がいるんだなぁ。
自分を「この範囲内にいなくては」と押し込めるのは止めようと何度も思ってきたけど、またこの思いを強くしました。好きにやればいい。


人には簡単にレッテルを貼ったり、カテゴライズできないんだな、と感じたのが、この本を読んだ収穫な気がします。
この隠者(ナイトさん)がどうして長年一人でいられたのか、そういう生活を望んだのか、この生活を守るためには過酷な環境に耐える(場合によっては死ぬ)などかなり高コストを払い続けたのはなぜか、ナイトさんはどういう人なのか説明を試みていますが、出来ずに終わっています。
人格障害? 精神疾患? 孤独を愛する人? 社会からの落伍者?
・・・特に人格障害や疾患の定義にぴったり当てはまって、そこからはみ出す部分のない人はいないだろうと思います。対象を理解しやすくなるためのレッテルに合わせて、人を枠にはめ込もうとしてもぴったり納まるはずがありません。

私は他人を見る時は、このことを忘れなくなりましたが、自分に対しては出来ていないな…と改めて気づきました。
父親が「アルコール依存症」の診断基準に当てはまるかで、自分が機能不全家庭で育ったと定義することを己に許すか決めようとしたり。
父親に治療が必要かを考えるなら、診断基準に当てはまるかも大事でしょうが、機能不全家庭だったかを考える場合は、父親がアルコールにかまけて家族を顧みなかったことが問題で、アルコール依存の程度はあまり関係ないのに。


著者は、人は「27年も他人と全く接触しない」ような孤独な暮らしに耐えられるのか? という疑問にも思いを巡らせています。

自分が他人と全く接触しない生活を最長何時間したことがあるだろう?(TVを見たり、ラジオを聞いたり、ネットを見たりはいいけれど、人と会うのはもちろん、メールのやりとりなど双方向コミュニケーションはダメだとして)と著者が考えると、著者自身の最長は48時間だそうです。
私は・・・? 学生時代、数日ひとりきりだったことがありますが、外に出れば人はいたし、買い物に行けばレジの人とはしゃべらなくても接触はするし…そう考えると、殆どないかも。
人間は群れで協力し合って生き延びてきた種だから、殆どの人には孤独は耐え難い苦痛のようです。
私も、ちょっと挨拶を交わす程度の知人が周りにいると程よい距離感があって安心です。そういう意味では、ひとりは嫌なのです。

こういう人もいるんだな~と思いながら、自分は?と振り返ることが多い本でした。




【この本で引用されていた言葉で気になったもの】

「多忙な生活の不毛さに留意せよ」  ソクラテス(の言葉と言われている)

「奇人に生まれついたら、幼少期から来る日も来る日も、他の人たちとはちがうのだと思い知らされる。
・・・・・この世から隠れなさい。精神や身体が他者とは異なる人々に課される罰を免れるために」  
                                                   ”ごく特殊な人々”

「内向的な者だけが”人間の計り知れない愚かさ”を見ることができる」 カール・ユング

「大衆のいるところはどこでも悪臭がする」 ニーチェ

「地獄とは他人のことだ」 サルトル

「根底から病んだ社会にうまく順応しても、健康とは言えない」 ジッドゥ・クリシュナムルティ

「世捨て人とは、必然的に、自分のやりたいことをやっている人間である」 トマス・マートン