シンプルライフへの遠い道

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わんこ仲間の訃報 死生観の変化

去年の10月ごろに、ご本人から末期がんで治療法もなくなったので退院してきたと伺ったわんこ仲間の方がいました。

先日、12月下旬に亡くなったとご家族から伺いました。

わんこ仲間の訃報はたまに入るのですが、ご本人から余命は長くないとはっきり伺ったのは初めてで、私にとってはかなり衝撃でした。現実から目を逸らすことを許されない感じ?

ご冥福を祈りつつ、自分はどう感じているんだろう?と数日観察していました。

どうやら、「先に逝かれたのだな。まぁ、私もそのうち逝きますから」こういう感じのようです。

 

20代くらいまでは、いつか自分も他人もみんな死ぬというのは、単なる情報・他人事でした。

40代以降は同級生や同年代、どうかすると年下の人が事故ではなく病気で亡くなることが増えて、「自分もいずれ死ぬんだな」ということに実感が加わってきました。

死について真剣に色々と考えるようになったのは、先代のわんこが遠からず旅立っていくと分かってからです。

看取りについてや、主にがんで亡くなる場合、亡くなる直前の数か月どういう経過をたどることが多いのか本で読んだり、実際にわんこを看取ったりして、何となく、病気や老衰で弱って死ぬときはこういう感じなのかな?というイメージがぼんやり出来てきました。

それに並行して、自分もいずれはそうなる(もちろん別ルートでの死に方もある)とイメージがしやすくなったことで、自分もそのうち死ぬということが単なる情報からリアルな感覚に変化し始めた気がします。

 

今回の訃報に接して、骨に転移したと聞いていたし(骨転移は痛いことが多い)、苦痛の少ない終末期であったことは願いましたが、不思議とお気の毒という気持ちは湧いてきませんでした。治療の難しいがんと分かってからの心情を想像するのは、また別の話ですが・・・亡くなったことについては、「所詮は他人事、私は生きている」とは違う感覚です。

 

             一足先に逝かれたんだな~