ふとした時に、一番浮かんでくるのは親のことー
思い出したくないし、現実生活での関りは断っているので新しい事件も起こっておらず、考える必要も生じていません。
なのに、浮かんでくる・・・
10年以上、親との関係や、ACな自分のことを考えてきたので、脳の癖になっている
親の言動でついた傷が癒えていない
本当は親に復讐したいのに、その本心を抑圧しているので、”見て見ぬふりをしている気持ちに目を向けろ”と無意識が言っている
おそらく、全てが当たってる。
知り合いに格下げした友人のことは、やっと浮かんでくる頻度が減りました。
以前は、何かにつけて「あの人は・・・」と自然に浮かんできて、腹を立てたり、さっさと見切りをつけなかった自分を嫌悪したりしていました。「人って、数か月でがらりと変わってしまうんだな・・・、いや、元からそういう部分があったから、他人に気遣う必要が格段に減って本性が出ただけ?」だとか、たとえ本人に聞いても事実は分からないであろうと分かっているのに、ぐるぐる考えたりもしていました。
浮かんで来なくなったのは、徐々に自分の中でけりがついて、「過去のこと」になってきたからだと思います。
この理論で行けば、親のことが浮かんでくるのは、「過去のこと」になっていないから。
あんな人達のことを考えて時間を空費するのは人生の浪費だということも、理屈ではよく分かっていますが、どうしようもない・・・。
何かの情報に接して、「私の親は違うな・・・」と哀しくなるのも定番です。
あの人たちが、私が望むレベルの思いやりを身に付けて私に接するという望みはもうあきらめがついていますが、「親なる存在に優しく労わってもらったり、見守られている安心感を味わってみたい」という夢は、未だに捨てきれないままです。
捨てようとして手放せるものでもなく、いつかふとした時に「そういえば、手放せていたな」と気づく類のことだと思っているので、今は何もしていません。
本当に信仰を持てたら、神仏なりに見守られている感覚を味わえるのかもしれませんが・・・残念ながら、信仰もないです。
しばらくは、こうして時々ぼやきながら、この状態と付き合っていくしかないのかな。