シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

いつまでも親のことが浮かんでくるのはなぜか知りたい

親と絶縁して(少なくともその時は互いに絶縁宣言をして)4年以上経ちます。
年賀状をしつこく送ってくるので、今年は受け取り拒否返送しました。
親から何か言ってくることはないし、もし行政や医療・福祉関係から何か言ってきても動かない覚悟は固まっています。
表面的な付き合いだけでも…と小さな期待を持つのも止めました。無理だから、疲れるだけ。

それなのに、未だによく親のことが頭に浮かんできます。
今は、怒りが湧くことは少ないですが…
一言でまとめるなら、「どう考えても愛されてなかったなぁ」と寂寥感が募る感じでしょうか。

親に対しては、まだ未消化の思いがあるんだろうな~とは思うのですが、それが何か自分でもよく分かりません。
わんこが楽しそうにしていると、私も嬉しくなって気持ちが上がるのですが、わんこもそれを感じてますます楽しくなってテンションが上がる時があります。
「こういう体験、記憶にないな~」   と思う。
本当はあったのに、親を毒親としてしか見なくなっているから、思い出せなくなっていると思いたいけど…
マイナスの記憶は「あの時は確かにそうだった」と思う場面がありありといくらでも浮かぶのに、親の口調や目つき・表情までリアルに蘇るのに、「あなたが嬉しいと私も幸せ」なオーラを親から受け取った記憶が浮かびません。ぼんやりと、あった気もする…程度。
それが寂しいのもあるんだろうな…

過去は変えられないし、ここにどうしてもこだわってしまう自分をどうにかしようとも思っていないので、自然に現実を受け入れて折り合いをつけるしかないと思っていますが、まだまだ折り合いはつきそうにありません。


あるインタビュー番組で、看取りに取り組んでいる医師が、最期に世話をしたことで「親を嫌いだと思っていたけど、本当は好きだったんだってわかった」と言っていた人の話をしていました。
そういう形でもいいから、親への感情をプラスにしたいんだろうか・・・?
今の決意のまま、親に関わらずに(平均余命で考えれば)親が死んだら、自分の本心を知る機会を逃すんじゃないかと不安なんだろうか・・・?
不安がないとは言いませんが、私は「人は生きたように死んでいく」の方を支持しているので、変な期待をする方がばかばかしい気もしています。


私は死別を大きく考えすぎなのかもしれません。
今後も没交渉のままの相手は、お互いにとって既に死者と同じなのに。