シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

スーパーノーマル

先日読んだ「逆境に生きる子たち」という本で、小児期逆境に遭いなら、成功した人たちを著者はスーパーノーマルと読んでいました。
自分もそうかもな、とちょっと思う今日この頃。
義父が亡くなり、私が知っている義父の一生の断片を辿ったり、自分の親を思うと、誰かをハラスメントしていない&しないように気を付けて、努力しているから、自分を「スーパーノーマル」の端くれと思ってもいいのかもしれない、と思うようになりました。

自分が虐待などの加害者にならずに済んでいるのは、殆どがめぐり合わせだとは思います。

自分がACだと自覚する前:結婚後すぐに子供が出来て親になっていたら、今頃は立派な毒親だったかも。

ACだと気付き始めた頃、親に会いたくないと思うなんておかしいと夫に言われ続けて、「やっぱり自分がおかしいんだ」になっていたら、心病んで潰れていたかも。

経済的に苦しくて、沢山働かなくてはならず、忙しくて自分の内面を覗く暇のない暮らしだったら、職場で”お局”になって後輩苛めて憂さ晴らししていたかも。

「何かがおかしい」と自覚できたのも、
「自分はACかな?」と思った時、それを受け入れたのも、
自分がACだとはっきり気づいてからの長いトンネルを歩き続けたのも自分で、自分がもがきながらも進んできたからここにいるんだとも思いますが、やっぱりそれだけじゃないので。


でもね…義父にしても、自分の親にしても、気づく機会は、言動を変える機会はいくらでもあったのです。
その道を選ばなかっただけ。
別に自分を毒親だと自覚しろとまではいわないけど、関係が少しは良くなるように、言葉を柔らかくしようとか、八つ当たり的にきつく当たるのは控えようとか、その程度でも”改めよう”という気があったら違ったと思うんです。(思っていたけど、こちらに伝わる形では出来ていないだけのかもしれませんが)
それは、本人たちのキャパの問題もあるだろうし、問題の深さもあるだろうし、あの人たちのレベルが低い=自己責任とも言い切れない部分もあるとは思います。でも、自己責任の部分も沢山あるのです。

そういう意味で、加害者にはならない方向を選んだ自分は、ちょっとはまっとうだと思ってもいいのかもしれません。