シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

夜と霧

この年になって、自分がACと気づいて読み返してみると、なかなか内容の深い本で、感想を文章にするのも難しいです。
 
「厳しい収容所生活」と言っても、私には想像も難しいです。
私の経験した飢えとは、「検診前の朝食抜き」程度。
虱だらけの狭い場所に、すし詰めで寝る生活。
相手の気分次第て襲ってくる暴力や理不尽。
仲間が次々と死んでいく状態・・・。 想像できる範囲を超えているので。
 
虐待を受ける子供の状態より、一つだけ大人の収容所生活の方が「まし」なことがあります。
それは、(少なくとも入れられた当初は)「この生活は異常事態だ」と認識できたこと。
「異常事態」に投げ込まれ、ある者は殺され、ある者は飢えと重労働にさらされて、
運命の理不尽に絶望して・・・私には想像も出来ない苦しみです。
 
でも、「自分が悪いからここにいるんじゃない」ことは強く思っていたのではないでしょうか。
 
私は、自分が何か上手くやれていないから、親の愛情が得られないと思っていました。
    自分が変なことを言ったりやったりするから、ひどい嘲りを受けるんだと思っていました。
    他の理不尽も、いやだとはっきり思うことも出来ず、
       ただ我慢するしかない(不満を感じる自分がおかしい)としか思えませんでした。
    
今思えば、明らかにおかしい状態も、「自分が悪い」「加害者(親)は正しい」と思いながら、
我慢していました。
想像の中で、加害者に仕返しして、憂さを晴らすことも出来ませんでした。
だから、生きづらさを抱える人格になってしまいました。
 
 
著者も、自分の苦悩は自分しか負えないものなので、その苦悩や、死も含めて、自分のこととして受け止めて初めて到達できる境地がある、と語っています。
 
 
子どもの虐待の大きな罪の一つは、
虐待されて成長した人自身にも、何が「自分が直視するべき苦悩なのか」が分からないことではないでしょうか。
自分は生きづらい。
何かがおかしい。少しでも良くしたい。でも、この「不具合」がどこから来たかが分からない。
 
自分の「苦悩」との出会いすら阻害されていることが多いです。
(これは、世の中の親子愛の賞揚や、”子供を愛さない親はいない”という刷り込みも一因です)
  
それを含めての「私の苦しみ」ではありますが・・・・。
本当に、子供への虐待の後遺症の重さを一人でも多くの人に知ってもらいたいです。
 
この本の感想とはずれてしまいました・・・。