シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

世界への信頼感

家にいると、「やっぱり働きたくないな~」と考えていることが多いです。
今の職場がどうの、仕事内容がどうの、ではないです。
一言にまとめると、「人間と一緒にいることが苦痛」。

少しずつ見ている録画…グリーンランドイヌイットの番組で、犬ぞりがやたら出てくる…を見ていると、「わんこなら平気なのにな~。一緒にいて安心だし、楽しいのにな~」と思います。
わんこもいろいろな性格の子がいて、一緒に暮らすとか、ワーキングドッグとして自分が使うとかなれば、一筋縄ではいかない子やら、やたら心配かける子がいて、楽ではないのは十分分かっています。

私が人といるのが苦痛なのは、そういう具体的な苦労・苦痛があるからじゃないからなぁ。
苛められる、攻撃される、排斥される、嘲られるとか…そういう心配があるからでもないからなぁ。
具体的に同僚Aさんが苦手、患者Fさんはどうしてもいや、とか、そういう事じゃないので…。
蒸し暑いのはどうしても苦手だとか、化繊より綿の肌触りが好きとか、そういう身体感覚に近いのかも。

ジャン・アメリーさんのこの言葉が、一番近い気がしています。
拷問された者は二度とふたたび、この世にはなじめない。屈辱の消えることはない。最初の一撃ですでに傷つき、拷問される中で崩れ去った世界への信頼というものを、もう二度ととりもどせない。


自分が余命数日になって、ホスピスにいると仮定した時、
何も言わず、何もせずでいいから、私が満足して、「もう十分です。ありがとう」と言えるまで、ただ側に座っていてくれる人(スマホを触りながらとかでなく)が一人くらいはいてくれるだろう…それは雇われたスタッフでも構わないから…
こう思える程度には、世界を信頼出来るようになったら、私の「人といるのが苦痛」も減るように思います。
夫もいざとなると私を見捨てるだろうと思っているとか、死に際に会いに来てくれる友達が一人もいないと思っているとか、そういうことではないのです。
「相手の事情や心情によっては、私は放置されるんだろうな…。まぁ、仕方ないよね」と思う程度にしか人間を信じることができないようです。

その時”我が家のわんこ”がいたら、「わんこは側にいてくれるだろう」と無邪気に信じることができるのですが。

この根本の不信感は親からもらったものだから、どうしても彼等にはネガティブな感情しか持てません。
この不信感って、”克服”したり、信頼感で上書きしたり、出来るんですか?