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あいまいな喪失とトラウマからの回復 ポーリン・ボス著

副題:家族とコミュニティのレジリエンス
セラピストなどの専門家向けの本。初めて図書館で取り寄せ(所蔵していない資料を提携先から借りてもらう)をしてもらい読みました。

曖昧な喪失は次の二つに大別されます。
「さよなら」のない別れ(心理的には存在しているが身体的には存在しない状況)
  失踪、誘拐、行方不明、家や故郷の喪失など
  離婚、養子、移民など

別れのない「さよなら」(身体的には存在しているが心理的には存在しない状況)
  薬物やアルコール依存、抑うつアルツハイマー病その他認知症、頭部外傷、自閉症など
  大切な人の不在、ホームシック、ワーカホリックな人など

この喪失を体験している人は、区切りがはっきりつかないため、動きが取れなくなったり、動こうとしても相反する思い(あの人はきっと帰ってくる、あの人はもう戻らないから新しい生活を始めよう)を同時に持つことになり引き裂かれたり、難しい状態に陥ることが多くなる(ほとんどの場合そうなる)そうです。

私個人は、親を「曖昧な喪失」していると感じていて、それも自分の親子問題にけりがつかない一因かと思い、何か手掛かりがあれば、とこの本を読みました。
専門家向けなので、分かりにくいところもありましたが、大いに参考になりました。


分かったのは、
「曖昧な喪失に”終結”は不可能・・・だからこその”あいまい”だから」
「曖昧な、延々と続く状況の中でも、それに対応し、新たなつながり・愛着・希望を見出したり、相反する感情や考えと共に、そこそこ健康を維持しながら生きていくことは可能」
「ネガティブケイパビリティ(宙ぶらりん状態に耐え、留まる力)も重要」
「変化を恐れないこと、感情や感覚を否定しないこと、忍耐強くあること、などが重要」
「物事への支配・コントロールの期待などを現状に合わせて調節することが必要」
                                               などということです。

今自分が身につけようとしている姿勢のいくつかは、曖昧な喪失と折り合いをつけていくのに役立ちそうだと感じました。

瞑想的アプローチ
感情を否定せず、あるがままにそこに置く・・・たとえそれが、親が死ぬことでこの状況に終止符を打って欲しいと願う、人道的にはよろしくない考えだとしても。一人で思う分には、いいも悪いもないのです。(ここで文にしてしまっていますが)

ネガティブケイパビリティ
最近読んだ本で、必要性を再確認しました。保留状態が苦手なので、必要な時にはそれに耐える努力をすること。耐えつつも、目をそらさず、状況は見ていること。

流転が自然な在り様だと理解すること
特に現状が安定していて、満足している場合、そこにとどまりたいと思うのは自然な感情ですが、何かあった(この本では曖昧な喪失の発生)後まで、そこに執着し続けると、回復や健康の妨げになる。

天に任せるしかないこと、頑張りと結果に因果関係がないことも多い
これはわんこの看病・看取りで改めて実感したことです。


細かいところまで説明は出来ませんが、東洋的思想の方が、曖昧な喪失には対処しやすいのかな、と感じました。




しんどいなぁ、と思ったのは、「曖昧な喪失」には終結がないことです。まぁ、だからこその曖昧な喪失なのですが・・・。
決着をつけて、「今日で卒業です!」と出来たらいいですが…私の場合、親が死んでも、「新たな被害が発生しない」「一つの区切りはついた」という意味で終結でしょうが、自分の中で親子関係がスッキリ整理がついて思い出のアルバムを心の本棚に収めて終わり、ということにはならないことも分かっています。

毒親問題とは、ほどほどにやっていくしかないようで、しんどいなぁ。

曖昧な喪失については、もう少し考えてみたいです。