シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

死なないでいる理由 鷲田清一著

哲学エッセイ。どうしてこの本を読む気になったのか、もう覚えていません(^_^;)
2002年の本なのですが、内容が古いかというと、そうでもない。でも、時代の変遷を感じる部分もありました。

生きる意味について探求した本ではなく(触れてはいますが)、都市の作りとか、顔のこと、メディアの影響などを題材にした部分が多くて、「都市の作りをこういう風に見るんだ~」と単純に好奇心を刺激されました。

特別難解な本でもないのですが、上手くまとめられません。
気になった言葉を書き留めておきます。

「幸福って何ですか」
「幸福について考えずにすんでいることです」
確かに、楽しい時、幸せな時って、「幸せ!」と感じても、「幸せって何だろう」とは思わないな…。
同じ意味で、「親子の絆って何だろう」と考えずに一生過ごせる人が心底羨ましいです。


そういう「存在の世話」を、いかなる条件や留保もつけずにしてもらった経験が、将来じぶんがどれほど他人を憎むことになろうとも、最後のぎりぎりのところで人への〈信頼〉を失わないでいさせてくれる。そういう人生への肯定感情がなければ、人は苦しみが堆積するなかで、最終的に、死なないでいる理由を持ちえないだろうとおもわれる。
あぁ、だから私には人への信頼があやふやなのか。よく消えたくなるのか。(自殺願望とは違います)
確かに無条件で世話をしてもらったと言えなくもない。でも、それは、私のニーズに応えるというより、ブザーが五月蠅く鳴る(泣く)から、それを止めるための「作業」としてやられたことの方が多かったんじゃないか。
ネグレクトされて、人や世界への信頼なんてない!というわけではないけれど、自分の気持ちは「取り上げる価値のない、どうでもいいもの」扱いされた後遺症が生きづらさを更に深くしています。
人生への肯定感情って、薄いよなぁ。

そうは言っても、悪いだけじゃない・・・かも?
もともと、人への信頼があやふや(あるかないかもよく分からない)だから、裏切られても、ダメージもぼんやりして認識できず、ダメージをダメージとして感知しないから生きていけるのかな、と感じることがあります。
言ってて、哀しくなりますけど。
自分が詐欺に引っかかる気がしません。だって、誰も信用していないのに、騙されようがない。
もちろん、「絶対大丈夫」はないし、大丈夫と思っている人ほど騙されやすいと言いますが、被害者の多いタイプの詐欺には引っかからないなぁ。
「自分の利益にならないことを人はやらない」と思っているので、「この人は私からどういう利益を得ようとしているんだろう?」と常に無意識でチェックしているから。


社会性とは「たがいによく知らないひとびと(市民)が集まっても、きちんと社会を運営していける能力」のことである。
そっか、じゃあ、職場では別に同僚のことを知る必要はあっても「よく知る・・深く知る必要」はないんだな~とかなり気が楽になりました。


こういう時代に大事なのは、「わからないことを、わかることで歪めてしまわないこと」です。
ネガティブケイパビリティにも通じるのかな、と思いました。
分からない部分は無視してそぎ落とし、分かる部分を集めて「これが全体だ」ということにして対処すると、歪みがある分、いずれ破たんする。
今すぐやることは同じだとしても、「この部分は分からないから置いている。いずれ対処が必要だ」ということは自覚していたいな・・・と思います。
横に置いている問題を自覚したままで過ごすのはしんどいですが、トータルコストで考えると、この方が精神的負担は小さいのかもしれません。



この著者の、ほかの本も読んでみたいです。
出来るだけ分かりやすくを心掛けてくれているのか、難解な哲学用語の羅列ではなく、読みやすかったです。