ヴァルネラビリティはネガティブケイパビリティとは違うものですが、対処法は共通点があると感じました。
訳者の門脇陽子さんの説明が分かりやすかったです。
分厚い手袋をしていれば、手が傷つくリスクは下げられますが、手袋をはめたまま誰かの手を握り締めても、ぬくもりはぼんやりとしか伝わらない。
だから、勇気をもって素手で生きて行こうよ、という内容の本です。
いや、理屈は分かるんですけど、何をしようが、しなかろうが、ただ存在しているだけで嘲笑されてズタボロになってきたから、傷つくのはもう嫌なんですけど! と言いたい(笑)
著者も、誰にでもオープンマインドで、とは言ってはおらず、適切な境界線や距離も必要だと言っていますが。
著者は「恥」をこう定義しています。
恥とは、自分の欠陥のゆえに、愛や居場所を得るのに値しないと思い込む、激しい痛みを伴う感情、または体験のこと。
恥を感じること・傷つくことを避けるために、人は色々な武器(戦略)を取ります。
【傷つかないように私たちが使う武器(戦略)と対処法】
・喜びのさなかに不吉な予感を感じる―喜びのさなかにそれを封じ込めようとする逆説的な不安
傷つく可能性を追い払うことにエネルギーを使っていると、不確実性やリスク、喜びを受け入れる
余裕を持てなくなる。
→「傷つくのは怖い。でも○○に感謝している」 …今持っているものに感謝する
・完璧主義―すべてを完璧にやれば恥を感じなくて済むという思い込み
「私のせいだ。こう感じるのは、私に足りないことがあるからだ」と考えて、完璧主義の深みにはまる
→すべてのものにはひびがあり、光はそこから差し込んでくる byレナード・コーエン
・感覚を麻痺させる―不快感や痛みの感覚を鈍くするものを、何でも受け入れてしまうこと
忙しくする、飲酒、薬物など
→ 自分の本当の気持ちを感じる
感覚を麻痺させる行動に注意する
つらい感情にともな不快感を前向きに受け入れる
自分の行動の背後にどんな思いがあるのか、自己分析し、内省することが必要
精一杯生きるとき、失望し、傷つき、胸が張り裂けるような思いをすることは避けて通れない。だがそれを乗り越えて進むためには、たとえ敗北したとしても、それで愛や居場所、喜びに値しなくなるなどと決して思ってはならない。
理屈としては深く同意しますが、実践は難しいな、とつくづく思います。
それでも、「傷つくのが怖い」から、どうしても避けたいと思ってしまうので…。
乱暴ですが、ACな自分を逆手に取る方法もあるな、とは思います。
「他人と同じ空間に一定時間留まる」だけで、違和感・不快感・不安を感じ、大げさに言えば”自分の存在が脅かされつつある感覚が襲ってきて、常に傷ついて”います。
「何かをやった・やらなかったせいで傷つく」のも同じこと。
それなら、自分のやりたいことをやればいい。どうせ同じに傷つくのだから。
傷の種類がちょっと変わるだけのこと。
「ありのままの自分で…」とはよく言われることですが、実践は簡単ではないし、ある程度実践スキルを身につけても、傷つくことは避けられないわけで、仏教でいう「四苦八苦」との付き合い方の模索のような果てしなさを感じました。
これまたACな自分の過去に引き寄せての話になりますが、どう努力しても自分の望む形の「親の愛」は得られず、愛されたいと望み続けた相手(親)から貶められ、嘲られ続けたあの日々を思えば、まだ明るい結果を望めるだけ、取り組む価値はあるのかも。
自分への番外:
【トラウマへの対処】
・問題を認識する
・専門的な支援や援助を求める
・トラウマに伴う恥や秘密に向き合う
・弱く傷つきやすい自分の再統合に、日常的に取り組む
失敗したら、後片付けをすればよい