シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

年収90万円で東京ハッピーライフ  大原扁理著

先日読んだ「20代で隠居」の著者の本。
あるがままにゆる~く生きているスタンスに凄く惹かれます。
まだまだ自分で自分を縛っているな~と気付かせてもらいました。


子供の時、苛めにあったそうですが、
「あれがあったから今のわたしがある、というようにポジティブには考えられない。辛かったことを無理やり肯定せなあかんほど、辛いことはない。」
と言っていて、そうだよな~と思いました。

私は自分がACだと気付いてから、人の心理について色々学んだし、考えも深まってプラスになった点もあるけれど、それでも、親の死を素直に悲しんでいる人を見ると羨ましくなるし、「いざというとき助け合うのが家族だよね」と明るく信じていられる親子関係の人を見ると、自分には永遠に手に入らないんだよな~と切なくもなります。
子供に先立たれた人が、「わが子はどう考え、どう生きていたんだろう。」と想像しているのをTVで見ると、「私の親は、私が死んだら所有物を失った感覚で悲しむかもしれないけれど、私がどう考え、どう感じていたかを知りたいとは全く思わないんだろうな・・・。」と思ったりします。根の部分では私に無関心な人たちだから。
今は大人なんだし、まぁ、こういう形も仕方ないかな、と思うのですが、子供の時からそうだったからしんどかったんだよな~と思い出して辛くなる。
これを無理やり、「そうは言っても産んでくれてありがとう」とか、「辛い面もあるけど、沢山学ばせてもらいました」と肯定しなくてもいいよね。・・・というか、肯定できない自分を許そう、と改めて思えました。


低収入のギリギリ生活をしている人を見ると、つい、「老い先どうするの?」と他人事ながら聞きたくなります。
頭では、
沢山貯金していても、超インフレになってお金は紙くずになるかもしれないし、
今日死ぬかもしれないし、
助け合える人間関係構築していても、相手が先に「要援助」になるかもだし、保険みたいに”助けてくれそうな人”とつながろうとするのは違うでしょうよ、
                                                   と思うのですが。

ご本人は、今できること(貯金するとか、収入があったら免除申請している年金の掛け金を後納するとか、健康に気を付けるとか)をやりつつ、あとは、不安を育てず、今を大事に生きていけば大丈夫、という境地だそうで、私もその域に近づきたい!

現在に将来が含まれるから、今を大事にしていれば大丈夫、という感覚を説明して、
「たとえば電車で目の前に杖を突いた老人とか妊婦さんがいても席も譲らないのに、将来自分が困った時のために必死に働くのって、関係ないようで地続きな気がする。」と言っていて、これにも共感しました。

どこかで「毎回必ず”因果応報”になるわけじゃないけど、世界は一つに繋がっている。」と信じているからかも。
今と未来の関係とは違うけど、「ペットレスキュー団体にちょっぴりでも寄付したら、それで命が数日でも伸びるわんこ達がいて、その子たちの嬉しい気持ちが巡り巡って、自分のわんこが苦しい時に元気玉を送ってくれるかもしれない。」と8割本気で思っていました。
本当に見えないところで「ありがとう」を送ってくれた子たちがいたかは分からないけど、わんこが病苦少なく、すっと旅立てたのは、あのおかげもあったと思っています。



自分のやりたくないことは削って、納得できること・やりたいことを増やしていったら、「今のわたしにぴったりの幸せな生活」が出来るんだな。